アルコール依存症からの回復

アルコール依存症からの回復のステップ

ビッグブック 再版にあたって(AA小史)

この前書きに記されている数字は
1955年当時のAAの状況である。


アルコホーリクは誰でも
二つの事を知りたがります。


一つは
自分がどうして昔のように
普通に酒を飲む事ができないのか?


アルコホーリクは
アルコールに対して
アレルギーを持っているので
一杯飲むとアレルギー反応が起きて
アルコールを求める
身体の渇望が引き起こされる。
いったん飲み始めると
やめられなくなるのはそのためなのだ。


もう一つは
酒をやめたいのに
どうしてやめられないのか?


アルコホーリクは
いつかきっと
普通の人のように酒をたしなむ事が
できる日が来ると信じているが
しかし
アルコホーリクが
普通の人のように
飲めるようになる事はない。
にもかかわらず普通の人のように
飲みたいというアルコホーリクの執念は
あまりにも強烈だから
いくら断酒を誓っても
「一、二杯なら・・・」
という考えに引き戻され
適量でやめられるはずだと
思い込んで一口飲む。


すると
アレルギー反応が起きて
次々と飲み続けずにはいられなくなる。


1930年
ウィリアム・シルクワース博士は
タウンズ病院でアルコホーリクの治療に取り組む中で
アルコホーリクはアルコールに対する
肉体的アレルギーと精神的脅迫観念という
治る見込みのない病気にかかっていると認識しました。


肉体的アレルギー:渇望現象
精神的強迫観念:欲求に負けて飲む衝動


アルコホーリクに共通する症候がある。
飲み始めたら最後
必ず渇望現象が増進するという事だ。


ふつうの人にとって飲むことは
何の差し障りもないのだ。
そこで
多くのアルコホーリクは欲求に負けて飲み始める。
すると
アルコールへの渇望現象につかまる。
そこでお決まりの段階が始まり
飲みすぎては
後悔に襲われ
もう絶対に飲まないと
固い決心をするということが
何度も何度も繰り返される。
心理現象のような霊的変化が全面的に起こらなければ
その人には回復の希望はほとんどない。


1931年
アルコホリズムに苦しむ
ニューヨークの投資銀行家の
ローランド・ハザードがスイスを訪れ
著名な心理学者カール・ユング博士に
助けを求めました。
ユング博士はローランドに
スピリチュアルな経験を通じて人格が変化すれば
飲まないでいられる望みがあると述べました。


ローランドはニューヨークに戻り
オックスフォード・グループを探しました。


~オックスフォード・グループ運動~
道徳再武装運動ともよばれる。
1921年アメリカのルター派教会牧師
ブックマンによって始められた宗教運動。
1908年イギリスのケズウィックで開かれた
宗教集会で回心を体験した彼は
以後、人間および社会の改革のために必要な
霊的回心と奉献を得る手段として
グループにおける罪の相互告白と決意表明を強調した。
初めオックスフォード大学の学生に回心を説き
ついで南アフリカ、中近東、スイスなどに運動を展開し
1938年以降は愛他主義による
「道徳再武装」Moral Re-Armament(MRA)を唱えた。



ローランド・ハザードは
オックスフォード・グループに加わって
その教義を実行しました。


オックスフォード・グループの教義は


降伏
意志と生き方を
自分なりに理解した神の配慮に
ゆだねる決心をすること


罪の点検
自分の過去を道徳的に棚卸しすること


告白・分かち合い
短所を認めて告白すること


償い
傷つけた人たちへ埋め合わせをすること


神の導き
神への信仰と依存が必要であること


証し
他の人の手助けをすること


キリスト教では
神さまから頂いた恵みを人に伝えることを
「証(あかし)をする」と言いいます。


すると
探し求めた変化とスピリチュアルな経験が
彼のうちに生まれ
彼は死ぬまで飲まずにすごせたようです。


ローランドとオックスフォード・グループの友人は
ローランドの旧友エビー・サッチャーが
精神病院に入院させられるという知らせを
耳にしました。
裁判所の法廷でローランドたちは
エビー・サッチャーの刑の執行を猶予するように
判事を説得しました。
ローランドたちは
簡単な宗教的な考え方と実践的な行動のプログラムを
エビー・サッチャーに手渡しました。


ローランドはエビーを
ニューヨークのサム・シューメーカー師の
カルバリー伝道所に案内しました。
エビーはそこで
アルコホリズムに苦しむ人たちへの働きかけを
開始しました。


1934年11月
エビーは旧友のビル・Wを訪ねました。
アルコホリズムから回復するための
解決策と
解決策を手にするための行動のプログラムを
ビル・Wに届けました。


ビル・Wのソーバーは
1934年12月11日から始まりました。


1934年12月
エビーはタウンズ病院にビルを訪れ
再度オックスフォード・グループのプログラムを
ビル・Wに伝えました。


AAは
1935年5月12日(母の日)に
オハイオ州アクロンで
ビル・Wとドクター・ボブが出会ったことから始まりました。
ボブは2年間
オックスフォード・グループに通っていたので
自身の解決策も行動のプログラムも知っていました。
しかし飲酒はとまらなかった。
ビルはシルクワース博士に言われたとおりに
ボブの問題は
肉体的アレルギーと
精神的強迫観念であると指摘しました。
自分の問題が理解できるとボブはすぐに回復し始めました。


1935年6月10日の朝
外科医であったドクター・ボブが
手術執刀を控えていたにもかかわらず
手が震えていたため
ビル・Wが1本のビールをドクター・ボブに手渡しました。
そのビールがドクター・ボブの最後の飲酒となり
AAの創立とされています。


このことは一人のアルコホーリクは
そうでない人には
決して真似できない影響を
他のアルコホーリクに与えることを
示していると思われる。
また一人のアルコホーリックが
精力的に他のアルコホーリクに
働きかけることは
その人自身の回復を永続的にするために
不可欠であることも教えてくれている。


ビル・Wとドクター・ボブは
アルコホーリクを探して病院に行き
ビル・ドッドソンという男に会いました。
そしてその男に問題と解決策について話し
行動のプログラムを伝えました。
彼はそれを受け容れ
実行し
そして回復しました。


1935年
このアクロンでの取り組みにより
アクロンに最初のAAグループが生まれた。
すぐに2つ目のAAグループが
ニューヨークでつくられ


1937年には
クリーブランドに三つ目のグループができた。


ビル・Wは
回復のプログラムの全体を把握した
最初の人物です。


問題:シルクワース博士から
(ステップ1)


解決策:ユング博士から
    ローランド、エビーを経由して
(ステップ2)


行動のプログラム:オックスフォード・グループの教義から
(ステップ3~12)


ビルとボブは
1935年9月頃には
酔っぱらいたちが関心を持てるような
案内書あるいはプランを書く事に
真剣に取り組んでいました。


その後
ビルとボブは
私達の課題に対する回答は
聖書の中にあると確信しました。
私達のような古くからの者にとって
無条件に重要であると思われる箇所は
山上の説教
コリントの信徒への手紙の第13章
ヤコブの手紙であった と。


ビッグブック出版の計画は
1938年5月には
既にその準備が始まっている。


アクロンのメンバーは
ビッグブックをビルに書いてもらいたいと
考えていたが
同時に下記のように考えた。
この本はビル1人のものではなく
私たちみんなの本にしたい。
ビルが草稿を書き進めるのと平行して
私たちがそれを読み
意見を出し合えば
全員の知識と経験を分かち合うことができる。
ビルはそれに同意し執筆を始めた。


ビッグブックは
AAの最初の100人のメンバーが踏んだ
回復のプログラムについて書かれている。
AAは
この12のステップに基づくプログラムを
学ぶ事から生まれた。


第1章と第2章が
1938年6月には完成した。


アルコホーリクス・アノニマスは
一時
ビッグブックの著者名として
提案された事がある。
アルコホーリクス・アノニマス著
『百人の男たち』という提案である。
他の書名の提案として
『出口』
『安息の場所』
『夜明け』
などがあったが
アルコホーリクス・アノニマスは
すでに1937年には共同体の名称として
限定的に使われ始めていたのである。


ビルはアン(ボブの妻)に
『妻たちへ』の章を執筆するように提案している。
アンがそれを書かなかったのは
ひとえに彼女の謙虚さの
せいだったのかもしれない。


ロイスもその章を書く事はなかった。
彼女は自分が書こうかと申し出たが
ビルから
「いや、だめだ。
本にまとめるには文体の統一が必要だ」と
断られたのである。


後にロイスは述べている。
「そのことで、ずっと私は傷ついていました。
今でも
どうしてビルは私に頼まなかったのか?
その理由が分かりません。
もっとも
私からは二度と蒸し返すことは
しませんでしたが・・・」と。


結局
ビルが『妻たちへ』の章を自分で書いた。


宗教的な本を望んだ仲間と
心理学的な本を望んだ仲間がいた。
ビルは最終的に
その中庸として
霊的な本を書く事になる。


ステップ2では神を
「自分を超えた大きな力」と表現する事にした。
ステップ3と11では
「自分なりに理解した神」という言葉を挿入した。
ステップ7から
「ひざまずいて」という表現を取り除いた。
そして
これらのステップへの導入文として
次のような言葉を書いた。


次に
私たちが踏んだステップを示す。
回復のプログラムとして
示されているものである。


AAのステップは提案でなければならない と
ビルは考えたようです。


これが信仰の薄い人や
あるいは信仰をまったくもたない人々に
対する最終的な譲歩だった。
無神論者や不可知論者達の偉大な貢献だった。
彼らは
私達の入り口を広くして
苦しんでいる人なら誰でも
その人の信仰や信仰の欠如にも関係なく
通り抜けられるようにしたのだった。


ビッグブックの小売価格を
3ドル50セントに決めました。
どうしても1ドルにと強く主張した仲間もいたし
2ドル50セントというメンバーもいた。


反対した仲間に納得してもらうためにも
印刷工場にある一番厚い紙での印刷を指示した。
そのため初版の本が非常に分厚くなり
「ビッグブック」という名で
親しまれるようになった。


ビッグブックの第5章で
ビルは「どうやればうまくいくのか」を説明し
12のステップを文書化した。
このステップの考えは
オックスフォードグループの6つのステップを
アルコール依存症からの回復に特化したものだった。
1939年発行されたこの本のタイトルは
熟慮の結果『アルコホーリクス・アノニマス』が選択され
そしてこれが新しい運動の名前にもなった。


降伏する~ステップ3
私たちの意志と生き方を
自分なりに理解した神の配慮にゆだねる決心をした


罪を点検する~ステップ4
恐れずに
徹底して
自分自身の棚卸しを行い
それを表に作った


告白する・分かち合う~ステップ5
神に対し
自分に対し
そしてもう一人の人に対して
自分の過ちの本質をありのままに認めた


償いをする~ステップ8・9
私たちが傷つけたすべての人の表を作り
その人たち全員に
進んで埋め合わせをしようとする気持ちになった
その人たちやほかの人を傷つけない限り
機会あるたびに
その人たちに直接埋め合わせをした


神に導きを求める~ステップ11
祈りと黙想を通して
自分なりに理解した神との
意識的な触れ合いを深め
神の意志を知ることと
それを実践する力だけを求めた


証しをする~ステップ12
これらのステップを経た結果
私たちは霊的に目覚め
このメッセージをアルコホーリクに伝え
そして私たちのすべてのことに
この原理を実行しようと努力した


ビル・Wはさらに
ステップ1・2・6・7・10を加えて
こんにちの12のステップをまとめあげました。


1935年以来
アルコホーリクス・アノニマスの共同体は
私たち人間が抱えている問題を
どう解決することができるのかという提案を
回復のステップとして示している。


当時のAAは
ビッグブックに書いてある通りの
回復のプログラムを踏んでいた。
ビッグブックには
多くの人がプログラムで回復し
家族関係が元に戻った事で
AAが急成長を遂げたと記されている。
12のステップを踏んで
真剣にアルコホリズムに取り組んだ人の
75%が実際に回復した。


ビッグブックは
アルコホーリクに共通する問題を
克服していくための
実践的な解決策について説明し
その解決策をいかに日々の生活の中で
実行するかについて述べている。


アルコホーリクス・アノニマスは
宗教的な組織ではない。
また
医療や宗教関係の人たちと
広く一緒に行動するが
特定の医学的な見方や
宗教の信条はとらない。


まだ解決を見つけていない人が
本書の中に答えを見いだし
新しい自由への道を
私たちと一緒に
歩き始めてくれることを・・・


私たちはただただ願う。



A group of A.A. people in California
(possibly Long Beach) in the 1940's:
Bill W. is on the right,
Dr. Bob is on the left,
and Anne Smith (with cigarette) is in the center.

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