アルコール依存症からの回復

アルコール依存症からの回復のステップ

ビッグブックのステップ1

私たちはアルコールに対して無力であり
思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた


アルコホーリクには
アルコール無しの人生なんて考えられない。
そしてやがては
アルコールの有る無しに関わりなく
人生そのものについて
考えられなくなってしまうだろう。
その時彼は
誰も知る事のないような孤独を味わう。
彼はまさにギリギリのところにいる。
終止符が打たれるのを
心から待ち望むようになる。


私たちは自分がアルコホーリクであることを
心の底から認めなくてはならない事を知った。
これが回復の第一ステップである。
自分は普通の酒飲みと同じだという
あるいは今にそうなれるかもしれないという妄想を
まず徹底的に打ち砕かなくてはならないのだ。


私たちのほとんどは
自分が本物のアルコホーリクだとは
認めたがらなかった。
自分の肉体や精神が
まわりにいる人たちとは違うなどということを
喜んで認める人間がいるわけはない。


だから私たちが
普通の人のように飲めるかもしれないと
役にも立たない実験をしてきたからといって
驚く事はない。
何とかなるだろうという考え
いつかは飲むのを楽しむ事ができるようになる
という大きな妄想が
病気の酒飲みに憑りついている。
この恐ろしい妄想を
たくさんの病的酒飲みは死の門口に立つまで
そうでなければ狂ってしまうまで
手放せないでいる。


私たちアルコホーリクは
飲酒をコントロールする力をなくした。
本物のアルコホーリクは
決して飲酒に対するコントロールを
取り戻すことはない。


一度アルコホーリクになったら
一生アルコホーリクなのである。


私たちも
自分はコントロールを取り戻したと
思ったことがあった。
けれど
そのちょっとした
あまり長くない中休みのあとには
必ずもっとひどい状態がやってきて
切ない
なぜだかわからない落ち込みに
苦しまなければならなかった。


私たちのようなアルコホーリクは
進行性の病気にかかっているのだということを
私たち全員が一人残らず信じている。
少し長い目で見れば
私たちは悪くなることはあっても
決して良くなることはなかったのである。


私たちが相手にしているのはアルコール
巧妙で、不可解で、強力なものであることを
忘れないでほしい。


酒をやめたいのなら
どんな条件も付けてはならない。
いつか
酒への耐性ができて
また飲めるようになるといった考えを
もてあそんではならない。


アルコホーリクはあるとき
最初の一杯に対しる防御の気持ちを
なくしてしまう。
ごくまれな例を除いて
自分自身であれ
ほかの人であれ
その一杯をやめさせられる人間はいない。


アルコホリズムの自己診断が難しいのは
アルコホリズムがアルコホーリクに


「おまえはアルコホーリクではない。
大丈夫だ」と
ささやきかけるからです。


アルコホーリクは誰でも
二つの事を知りたがります。


一つは
自分がどうして昔のように
普通に酒を飲む事ができないのか?


アルコホーリクは
アルコールに対して
アレルギーを持っているので
一杯飲むとアレルギー反応が起きて
アルコールを求める
身体の渇望が引き起こされる。
いったん飲み始めると
やめられなくなるのはそのためなのだ。


もう一つは
酒をやめたいのに
どうしてやめられないのか?


アルコホーリクは
いつかきっと
普通の人のように酒をたしなむ事が
できる日が来ると信じているが
しかし
アルコホーリクが
普通の人のように
飲めるようになる事はない。
にもかかわらず普通の人のように
飲みたいというアルコホーリクの執念は
あまりにも強烈だから
いくら断酒を誓っても
「一、二杯なら・・・」
という考えに引き戻され
適量でやめられるはずだと
思い込んで一口飲む。


すると
アレルギー反応が起きて
次々と飲み続けずにはいられなくなる


アルコホリズムという問題の理解
アルコホーリクは普通にお酒を飲むことができない
その原因は
身体のアレルギー、アルコール渇望現象
精神のとらわれ、強迫観念である。


もしあなたが
身体のアレルギーのために
安全に飲酒する事ができず
しかも
精神の強迫観念のために
断酒できないようなら
あなたは
アルコールに対して無力である。


アルコホリズムとは
いったん飲み始めると
止まらなくなる身体のアレルギーと
回復しない限り
必ず最初の一杯に引き戻されてしまう
精神の強迫観念である。


自分はもう二度と飲む事ができない身体であると
認めた時に初めて
自分の病気とうまく付き合いながら
一生飲まないで生きる事ができるようになる。


アルコホーリクの問題は
意志が弱いとか
不道徳だとか
罪深いといった事ではない。
身体のアレルギーがあるので
飲めば酒量をコントロールできない。
いつか自分も普通の人のように
飲めるかもしれないという
酒に対する執念が強いため
きっぱりやめる事もできない。


身体のアレルギーはどうする事もできないから
一生抱えて生きていくしかない。
そうなると
回復は
精神面からという事になる。
これは酒をきっぱりやめる事を意味するが
これも自分だけの力では叶わない。


このようにして
アルコホーリクは
どうにも生きていく事ができなくなる。


ステップ1で
私たちは
自分の力だけで何とかしようとする生き方
何もかも自分で決める生き方
何ものにも頼らない生き方を
手放さなければならない。


自分が無力である事に気づき、認めなければ
生き方を変えようという意欲は生まれない。


無力を認めるとは
自分の意志を手放すという事である。


「今までの生き方ではどうにもならない
生き方を変えてみよう」という気持ちになり
「変わろう」という意欲が生まれて初めて


生き方を変えるために
自分を超えた偉大な力を
信じてみようという気持ちになり
生き方を変えるための行動を決心する。


ハイヤー・パワーに
自分が望むように解決してほしいと
願うようであれば
私たちは本当に降伏したとはいえないし
すべてをゆだねた事にはならない。


僕が自分を哀れんで
落ち込んでいたひどい泥沼の中での
その時の孤独と絶望はとても言葉では言い尽くせない。
浮砂は八方から流れ込み
押しつぶされそうだった。
僕は闘いの相手の正体をつかんだ。
手も足もでなかった。
アルコールが
僕の支配者だった。


私たちはアルコホリズムという審判を受けて
AAにたどり着いた。
そこで事態の重大な本質に気づいた。
その時
やっとその時になってはじめて
死に臨んだ人のような広い心の持ち主になり
説得に耳を傾ける気持ちになった。
私たちは自分から容赦のないとらわれを
取り除くためなら
何でもする用意ができたのだった。


ちょっと一杯だけ飲むつもりだったのに
そのたびに酔っぱらって大失敗を
してしまうのです。
ニューヨークの医師に相談したら
私にはアルコールに対する
肉体的なアレルギーがあり
少しでも飲むとアルコール渇望現象が
生じると教えてくれました。
それが
私に起こっていた問題です。


1934年の後半の事
シルクワース医師はある患者を担当しました。
彼はかつて収入の良い
非常に有能な実業家でしたが
どうにも見込みなしと見放すほかないような
アルコホーリクでした。
三度目の治療中でした。
彼は回復の可能性に向けた手段として
ある方法を思いついたのです。
彼は自分のリハビリテーションの一環として
自分が得た考えを
他のアルコホーリクに説明し始め
彼らも自分と同じようにすれば
何とかなることを強調したのです。
これがいま急速に広まっている
アルコホーリクとその家族たちの
共同体の土台になりました。
この患者と
そして百人あまりのアルコホーリクが
いま回復していると思われます。
シルクワース自身
これ以外のあらゆる方法が無惨にも
失敗に終わっているケースを
いやというほど見てきています。


シルクワース医師は
ある事を強調しておられる。
すなわちアルコホーリクの肉体が
精神と同様に異常だという事だ。
私たちは
人生にうまく適応できないから
現実から完全に逃れたいから
あるいは精神がまったくおかしいから
飲酒をコントロールできないのだと言われても
納得できなかった。
それは事実だし
かなりのところまで言い当ててもいる。
だが
私たちは自分の肉体もまた病んでいる
と確信している。


アルコホーリクに共通する症候がある。
飲み始めたら最後
必ず渇望現象が増進するという事だ。
この現象は私たちが以前提言したように
アルコホーリク特有のアレルギーの症候であり
彼らを他と明確に分けるものである。
私たちの知るかぎり
これまでにこの症候を根治できる治療法はなかった。
唯一の解決法は
まったく飲まないことしかないと
言わざるをえないのである。


人は本質的に
アルコールがもたらす酔いの効果が好きで飲む。
その感覚は実につかまえどころがなく
危険であると思っても
やがてその判断の真偽がつかなくなっていく。
アルコホーリクにとっては
飲む生活だけが唯一の日常になる。
飲んでいない時のアルコホーリクは
落ち着きがなく
イライラが強く
不機嫌であって
飲んでいっぺんにふっと楽になる感覚を
再び体験せずにはいられない。
普通の人にとって飲む事は何の差しさわりもないのだ。


ほどほどに飲む事ができない人にとっては
要するにどうすればやめられるのかが問題だ。
もちろん
私たちは読者がやめたいという願いを
持っている事を前提にしている。
その人が霊的でない方法でやめられるかどうかは
飲む飲まないの選択が
どのくらいできなくなっているかにかかっている。
私たちの多くは
自分はまだいい品性を残していると思っていた。
永久にやめようという
とても強い願いがあった。
それにもかかわらず
飲むのをやめることができなかった。
私たちが知るかぎりの
これがアルコホリズムの不可解な特徴である。
つまり
どんなにやめる必要があり
どんなにやめる事を願っても
飲まずにはいられないのだ。


ビルの飲酒は
現実逃避だけでなく
大きなチャンスを前にしても
すでに
コントロールをする事が
できなくなっていたようです。


株価は1932年に底値をつけていた。
ぼくは何とか買い手を集めた。
そうしてかなりの利益の分け前を
手にできるはずだったが
メチャメチャに深酒を続けたおかげで
そのチャンスを逃してしまった。


そこで
多くのアルコホーリクは欲求に負けて飲み始める。
すると
アルコールへの渇望現象につかまる。
そこでお決まりの段階が始まり
飲みすぎては
後悔に襲われ
もう絶対に飲まないと固い決心をするということが
何度も何度も繰り返される。
心理現象のような霊的変化が全面的に起こらなければ
その人には回復の希望はほとんどない。


霊的変化とは
アルコホリズムから充分に回復するために必要な
私たちの人生に対する態度と展望が
まるっきり変化する事
私たちの人格ががらっと変わる事である。


人格の変化が起きると
もう見放されたも同然だった人が
アルコールへの欲求を
簡単にコントロールできるようになる
そのために必要なのは
回復の12のステップに従う事である。


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