アルコール依存症からの回復

アルコール依存症からの回復のステップ

ビッグブックのステップ11

祈りと黙想を通して
自分なりに理解した神との
意識的な触れ合いを深め
神の意志を知ることと
それを実践する力だけを求めた


神は私たちに成功する事を求めてはいません。
私たちが努力する事だけを求めているのです。


ステップ1で問題を理解し
充分な人格の変化
生き方を変えるための意欲を
もつ事ができなければ
ステップ2の解決策を信じようとはしない。
私たちはステップ3で
自分の意志を神にゆだねる決心をする。
行動のステップ4・5・6・7・8・9で
恨み、怖れ、罪悪感、後悔、短所を手放し
ステップ10で
ステップ4からステップ9までを
継続的に取り組む。
その結果
ステップ11で
神の意志を受け取る事ができるようになる。
そしてステップ12で
私たちは回復に必要な充分な人格の変化
要するに
生き方を変える事ができるようになる。


ハイヤー・パワー


私なりに理解したあなたとのパイプを
いつもつなげておけますように


雑然とした日々の暮らしが
詰まらせるパイプをいつもきれいに
掃除しておけますように


祈りと黙想を通して
私はとりわけ頑固な意志や
自己弁護や
希望的観測からの解放を願います


私を正しい考えや
建設的行動へと導いてください


私の意志ではなく
ハイヤー・パワー
あなたの意志が行われますように


ハイヤー・パワーは
一人ひとりが
何を望んでいるかについては興味はないが
一人ひとりに何が必要かという事は
よく知っている。


祈りによって神に話しかけ
黙想によって神の意志を聞く事で
かつては直感とか虫の知らせとか
自分には縁のなかったものが
次第に心のなかで
大きな流れになってくるでしょう。


この祈りという主題について
尻込みしてはならない。
私たちより優れた人たちが
絶えず祈っている。
正しい態度で実行すれば
祈りには効果がある。


この課題を
あいまいにしてしまうのはたやすい。
だが
実は私たちは
幾つかの決定的で
貴重な提案ができると思う。



眠りにつく前に
その日の事を
建設的に振り返ってみる。
恨みがましく
自分勝手で
不正直ではなかったか
怖れてはいなかったか。
謝らなくてはならない人はいないか。
誰かとすぐに
話し合うべきだった事を
まだ自分だけに留めてはいないか。
誰に対しても親切で
思いやりがあったか。
何かもっと良くやれたはずの事はないか。
自分の事だけを考えてはいなかったか。
人のために自分は何ができるのか。
人生の流れに自分の何を差し出せるか考えたか。


心配や後悔
憂うつな考えのほうに流されないよう
注意しなくてはならない。
人の役にたつことができなくなるからだ。


一日を振り返ったあと
神にゆるしを乞い
正すためにはどうすればいいのかを尋ねる。


朝目が覚めたら
自分の前にある
24時間の事を考えよう。
その日の計画を立てる。
取りかかる前に
神に私たちの考えに導きを
与えてくださるように
とりわけそれが
自己憐憫
不正直
利己主義
といった事から
切り離されるよう助けを求める。


一日を通して健康な心が保てるよう準備し
また
その事の重要性を思い起こせるよう努力します。
この取り組みを毎日行う事ができれば
私たちはゆっくりと
神の意志と調和する事ができるようになり
自分の意志を意識する事が少なくなるでしょう。
こうして
私たちは霊的な成長を遂げていくのです。


かつては直感とか
虫の知らせとか
自分には縁の薄かったものが
次第に心の中で大きな流れになってくる。
まだ経験不足で
神との意識的接触を始めて日が浅ければ
いつも霊感が得られるというわけには
いかないだろう。
そこを
うっかりしないようにしないと
色々バカげた行動や考えに
走る事になるかもしれない。
ではあるが
私たちの考え方は時間と共に
霊感に基づいたものになっていく。
それを頼りにするようになっていく。


僕は
自分が考えている事を調べる。
新しく僕が意識している神にすがって。
常識が非常識になる。


*ビルにとって常識とは
問題から逃れるためにお酒を飲むことでした。
非常識とは
飲まずにいて
困難に対して神の導きを求めることでした。


私たちは人間であり
全知全能ではない事を自覚すれば
何かを決める時に決断しやすくなる。
どんな問題にも
どんな質問にも
対処の仕方や答えを
用意しておかなければならないと考えるから
フラストレーションがたまる。


その日の事を思ううちに
決められない事にぶつかるかもしれない。
どうしたものか
決心できないかもしれない。
そんな時
私たちは霊感や直感的な考え
あるいは決断を与えてくださいと神に祈る。
それから気を楽にする。
もがいたりしない。
この方法を
しばらくやってみた後で
正しい答えが得られる事に
私たちはビックリする。


もちろん
ゆだねたからといって
問題は解決されませんが
私たちはその問題から解放され
日常の生活を続ける事ができます。


そのようにすれば
自分で問題の解決や対処法を
悩み考える必要はなくなるし
他の事に集中する事もできます。


そして
しばらくすると答えを思いついたり
他の人が教えてくれたりします。


ハイヤー・パワーは
誰か他の人を通じて
あるいはすべての人を通じて
私たちに語りかけてくださいます。


ふつう私たちは
自分にとって次のステップが何か
それをするためには何をすべきかを
一日を通して示してくださいという祈りで
黙想の時間を終える。
頑固な強情さからの解放を特に祈り
自分の利益のためには
何一つ祈らないように注意する。


一日が過ぎていくうちに
自分が動揺したり
疑問を抱いたりしたら
立ち止まって一息入れ
正しい考えと行動を示してくださいと祈る。
自分がもはやすべてを
取り仕切っているのではない事を
絶えず思い起こし
毎日
何度も
「あなたの意志が行われますように」 と
謙虚に自分に繰り返す。
そうすれば
興奮
怖れ
怒り
心配
自己憐憫
結果としての愚かな決断に
落ち込む危険はずっと少なくなる。
ずっと効率が良くなる。
自分に合わせて
人生をひねくり回していた頃のように
エネルギーを浪費しないから
疲れにくくなってくる。


これはうまくいく。
実に効果がある。
その効果は驚くべきものだ。


心配から離れて他の事を考えていると
やがて正しい考えや解決方法
決断すべき事などが浮かんでくる。
しかし
自分で解決しようとこだわっている限り
ハイヤー・パワーが
あなたの考えに入り込む余地はない。


私たちアルコホーリクは
自己規制力をあまり持たない。
だからこれまで述べたような簡単な方法で
神に訓練してもらうのだ。


しかしそれだけでは終わらない。
一にも行動
二にも行動。
「行動のない信仰は死」なのだ。


ステップ11で
私たちは
神の意志と
それを実践する力だけを求めて祈る。


今日
明日
そしてその先の日々に必要な事は
ハイヤー・パワーの導きと
それに従う努力である事を
私たちは知っている。


神は私たちに絶えず
少しずつ
もっと多くの事を示してくれる。


たくさんのAAメンバーが
「祈りと黙想」は
双方向の祈りだと言っています。
祈りは神に向かって話す事で
黙想は神から聞く事です。
私達は
「自分なりに理解した神」から
導きを得るために聞くのです。


ビッグブックを書いた人達は
ビッグブックで
双方向の祈りについて述べています。


だから家の大掃除は家族と一緒にやろう。
「毎朝の黙想」の中で神が
「忍耐」
「寛容」
「思いやり」
それに「愛」の道を示してくれる事を祈って。


~ビルの祈りと黙想~
たしかでない時は
「静かに座って」
神の計画のままに
ぼくの問題の方向づけと
それに立ち向かう強さが
得られますように願う。


神は
心から求める人たちのところには
必ず来てくれる。
私たちが神に近づこうと努める時
神は必ず私たちの前に現れる。


黙想のなかで私たちは神に
それぞれの問題について
自分がどうすべきなのかを求めた。
求めれば
正しい答えが示される。


私たちは正しい理想を
不確かな状況については導きを
健康な考え方を
そして正しいことをする強さが
与えられるのを心から祈った。


「霊的な生き方に関心がある人なら誰でも」
使うことができる、普遍的な霊的原理が
「神の意志を知るには」に書かれています。


これは
自分も試してみたいという
意欲をもった人のための
いくつかの簡単な提案である。
あなたは
人類がいままでに見つけた
どんなことより重要で
実際に役に立つことを
自ら発見するだろう。
それは
どうやって神と触れ合うか?
である。
必要なのは
まじめにやってみようという意欲だけだ。
継続的に
そして誠実に取り組めば誰でも
それが実際に役に立つことを知るだろう。


誰でも
どこでも
いつでも
神と触れ合うことができる。
そのためには
私たちが以下の条件に従いさえすれば良い。
その条件とは
1.黙って、静かにじっとする
2.耳を傾ける
3.浮かんできた考え一つひとつを誠実に
4.それが神からきたものか?確かめる
5.それに従う


自分の意志と神の意志を見分けるには?


自分の意志  神の意志


利己的    無私
不正直    正直
身勝手    純潔
怖れ     愛


書く!
この手順全体にとって大切なことは
浮んできたすべてを書き留めることだ。
書き留めるのは
後で思い出せるようにするための手段だ。


テストする
書き留めたことをよく検討する。
思い浮かんだ考えがすべて
神からきたものとは限らない。
だから
考えをテストしなくてはならない。
書いて記録しておけば
ここで検討する役に立つ。
1.その考えは
  完全に正直で、純潔で、無私で、愛
  あるものか?
2.その考えは
  家族や自分の属する集団に対する義務と
  一致しているか?
3.その考えは
  私たちの霊的な書物の教えについての
  自分の理解と一致しているか?


確認する
考えが疑わしい時や
大切なことについては
その考えや行動について
同じように双方向の祈りを使って生きている
もう一人の人の考えを聞くことだ。
窓は一つより
二つあった方が
より多くの光が射し込む。
その人が神の意志を求める人であれば
あなたがもっとはっきりと見る
手助けができるだろう。
あなたが書いたことについて話し合う。
多くの人たちがそうしている。
どんな導きを得たか
お互いに話し合っている。
それが一体性をもたらす秘訣である。
どんな問題にも三つの側面がある。
あなたの側
私の側
そして正しい側である。
導きは
何が正しい側なのか?
示してくれる。
あなたが、私が正しいかではない。
何が正しいか?である。


従う
その考えを実行に移す。
実際にそれをやり通さなくては
導きについて自信を得ることはできない。
船が動き出すまで舵は役に立たない。
あなたが従えば
その結果は
しばしばあなたが正しい軌道に乗っていることを
確信させてくれるだろう。


障害
耳を傾けてもはっきりとした考えを
受取れない時もあるが
それは神の落ち度ではない。
通常それは
「する気のないこと」が何かあるからだ。
1.暮らしの中で何かの過ちをごまかしていて
  正していない
2.何かの悪癖や無節操をやめていない
3.誰かを許していない
4.誰かと誤った関係を続けている
5.何か償いをしていない
6.すでに神から与えられた導きに
  従う気になれていない


誰でも
どこにいても使える一つの生き方がある。
誰でも
どこでも
いつでも
神と触れ合うことができる。
そのためには
私たちが神の条件に従いさえすれば良い。


人が耳を傾ければ、神は告げる。
人が従えば、神は叶える。


これが祈りの法則である。


神さま
私にお与えください
自分に変えられないものを受け容れる落着きを
変えられるものは変えてゆく勇気を
そして二つのものを見分ける賢さを
私の意志ではなく
あなたの意志が叶えられますように


歴史に現れる神秘主義は
キリスト教
ユダヤ教
仏教
ヒンズー教
道教
イスラム教
のどれもが同じ事を語っている。
表現こそ違うけれど
どの宗教も
大勢の神々の背後に存在する
一人の至福の神
深い黙想のなかで
直接触れることができる神の事を語っている。


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