ビッグブックには随所に 「霊的体験」「霊的目覚め」という言葉が出てくる。 「霊的体験」「霊的目覚め」は アルコホリズムからの回復をもたらすために必要な 充分な「人格の変化」が 私たちのなかに さまざまなかたちで現れることを意味している。 「霊的体験」 突然の 天地がひっくり返るような急激で圧倒的な... 続きをみる
2018年7月に書かれた記事
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アルコホーリクス・アノニマスの共同体は 道徳性と同様に霊性にも中心が置かれている。 AAメンバーのほとんど全員が 「自分を超えた偉大な力」を信じ それに自分をゆだねている。 エド神父は セントルイスで最初のAAグループを スタートさせるために力を貸してくださいました。 私たちが 歓びのうちにある時... 続きをみる
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AAは 三本の柱に支えられた殿堂にたとえる事ができます。 一つは宗教であり もう一つは医学であり そして三番目は アルコホリズムにかかった者としての 私たち自身の経験です。 医学は広い視野をもっています。 心の病気が身体に及ぼす影響 そして 身体の病気が心に及ぼす影響です。 ファスター・ケネディ博... 続きをみる
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私たちには 3つの座右の銘がある。 「第一のことは第一に」 「己は己、人は人」 「気楽にゆっくりやろう」 We have three little mottoes which are apropos. “FIRST THINGS FIRST” “LIVE AND LET LIVE” “EASY D... 続きをみる
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1951年 アルコホーリクス・アノニマスは ラスカー賞を受賞した。 サンフランシスコのオペラハウスで ラスカー賞が アルコホーリクス・アノニマスに対して 贈られたのである。 授賞式に続いて その晩行われたAAミーティングの会場は 超満員の仲間で埋められた。 飲んでいないアルコホーリクで会場が一杯に... 続きをみる
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AAの12のステップは 個人の「回復」のための原理である。 12の伝統は この共同体の「一体性」を守るものである。 「ワールド・サービスのための12の概念」は 1962年に 共同創始者ビル・Wによって著されたものであるが 関連する一群の原理を提供している。 それは AAのサービス構成のさまざまな要... 続きをみる
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アルコホーリクス・アノニマスの共同創始者の一人。 私たちの共同体の誕生は 彼が永久に飲まない生き方に入ったその日 1935年6月10日と日付を同じくする。 1879年8月8日 ロバート・ホルブルック・スミス誕生 私はニューイングランドの バーモント州セント・ジョンズベリーの セントラル・アンド・サ... 続きをみる
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ぼくが病院で横になっていた時 ふと考えが浮かんだ。 ぼくにこれほど惜しげもなく無償で与えられたものを 同じように手にしたいと願っているアルコホーリクは 何万人もいるにちがいない。 もしかすると ぼくはその中の何人かの役に立てるかもしれない。 すると次に その何人かが 別の人たちに同じことをする・・... 続きをみる
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ヘンリー・Pは シルクワース博士から紹介された タウンズ病院の患者の中で 1935年 初めて酒をやめた一人である。 ヘンリーは かつてスタンダード・オイルの重役を務めた男で 持ち前のけたはずれの情熱を ニューヨーク・グループを創始する事に降り注いだ。 1938年 アルコホーリク財団が ビッグブック... 続きをみる
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家族は全員が一緒になって 寛容 理解 愛 という共通の土台の上に立たなくてはならない。 それには一人ひとりが身勝手さを 引っ込めなくてはならない。 アルコホーリクも その妻や子どもたちや義理の身内も 誰もが 家族は 自分に対してこうあるべきだという固定観念を もっている事がよくある。 それぞれがみ... 続きをみる
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ビルはアン(ボブの妻)に 『妻たちへ』の章を執筆するように提案している。 私の考えでは アンは妻の姿を描写した章を書くべきだ とビルは提案したのだが アンがそれを書かなかったのは ひとえに彼女の謙虚さの せいだったのかもしれない。 ロイスもその章を書く事はなかった。 彼女は自分が書こうかと申し出た... 続きをみる
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実際の経験によれば 他のアルコホーリクと徹底的にかかわっていく事ほど 再飲酒を防ぐ保障になる行動はない。 他の事がみんなうまくいかなくても これには効果がある。 アルコホーリクス・アノニマスは 経験と力と希望を分かち合って共通する問題を解決し ほかの人たちもアルコホリズムから回復するように 手助け... 続きをみる
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ステップ4で棚卸表を作ったあと それについてこれからどうするのだろうか? 私たちは 自分の欠点を認めた。 怖れずに徹底して 自分の欠点を突き止めた。 棚卸表にその欠点を記した。 今 その欠点を捨て去らなければならない。 ステップ5 「自分を超えた偉大な力」に対し 自分自身に対し そしてもう一人の人... 続きをみる
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私たちが進んだ道を徹底してたどって 回復できなかった人を ほとんど知らない。 自分に正直になる能力さえあれば ほとんど回復する。 私たちは 自分たちがいつもどんなふうだったか? そして 何が起こって 今 どうなっているのか? おおよそのところをはっきりさせる。 あなたが 私たちのもっているものを欲... 続きをみる
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あなたが本気で酒をやめたいと思っているのに きっぱりやめられないようなら あるいは飲んでいて酒量がコントロールできないようなら おそらくあなたはアルコホーリクだろう。 良い道徳や人生哲学があれば 飲酒の問題が克服できるというのであれば 私たちはずっと昔に回復していたはずである。 けれども 道徳や哲... 続きをみる
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必死になって助けを求めている 多くのアルコホーリクの男女に この本を読んで頂く事が 私たちの願いである。 そうして読者が そうだ、自分と全く同じだ。 何とか自分も回復したい と言えるようになるには まず私たちが 自分たちの「問題」を全部はっきりさせる以外に 道はないと思っているのである。 私たちの... 続きをみる
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私たちは 出身地も、職業も様々なら 政治的、経済的、社会的、宗教的背景もいろいろで 普通なら出会う事さえもなかった者同士だ。 だが私たちのなかには 言葉では言い表せないような素晴らしい 仲間意識と友情と共感がある。 私たち 一人ひとりにとっての偉大な事実は 私たちが共通の解決方法を見つけたという事... 続きをみる
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1895年11月26日 ビル・Wが バーモント州イースト・ドーセットで生まれる。 ビル・W 本名:ウィリアム・グリフィス・ウィルソン https://ja.wikipedia.org/w/undefined?action=edit§ion=6 ビルは、バーモント州の採石場の町に育った。 1... 続きをみる
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医師から肝硬変と診断され 半年ともつまい と言われた。 両手で顔を洗う事もできない。 まっすぐ歩く事もできない。 「まるで奈良漬けだ」 と言われて久しい。 1968年10月18日 妻と病院に行った。 途中で飲もうと思ったが なぜか飲まずに入院した。 それ以来 酒は口にしていない。 退院の日 同席し... 続きをみる
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私は 函館のトラピスト修道院を逃げ出して 3週間ほど行方不明になっていた。 ちょうどその頃 一人のアメリカ人(ミニー神父)が 私の噂を聞いて しきりに探してくれていた。 無一文になって 仕方なしに大阪へ帰った私を待っていたのが 「こっちへ来て、一緒にやってみないか」 という彼のメッセージであった。... 続きをみる