アルコール依存症からの回復

アルコール依存症からの回復のステップ

12&12~まえがき~

アルコホーリクス・アノニマスは
経験と力と希望を分かち合って共通する問題を解決し
ほかの人たちもアルコホリズムから回復するように
手助けしたいという共同体である。


AAの12のステップは
霊的な特徴をもつ一連の原理であり
生き方として実践されるなら
飲酒の囚われから解放され
ほかの人たちの役に立ち
幸せな人生を歩むことを可能にする。
多くのアルコホーリクは
12のステップを実践し
人生のさまざまな問題に対処しており
AAの12のステップは
アルコホーリクにとって
飲まない生き方以上の
大きな意義をもつものとなっている。


AAの12の伝統は
この共同体そのものの生命に関するものである。
AAが一体性を保ち
周囲の社会と関りをもち
存続し
成長を続けるための原理である。
AAにはメンバー間で上下関係がなく
中央政権のようなものも存在しない。
伝統の一連の原理には
法的権威がまったくないにも関わらず
アルコホーリクス・アノニマスは
一体性を保っている。



ステップの基本原理は
主に宗教界、医学界から得たものであるが
最終的にAAが成功するに至った原理は
この共同体そのものの行動や経験
必要性から集約されたものである。


ビルは
回復のプログラムの全体を把握した
最初の人物である。


問題~ステップ1
シルクワース博士から


解決策~ステップ2
ユング博士から


行動のプログラム:オックスフォード・グループの教義から


オックスフォードグループの6つのステップを
アルコール依存症からの回復に特化した


降伏する~ステップ3


罪を点検する~ステップ4


告白する・分かち合う~ステップ5


償いをする~ステップ8・9


神に導きを求める~ステップ11


証しをする~ステップ12


ビルはさらに
ステップ6・7・10を加えて
こんにちの12のステップをまとめあげた。



AAが
最も効果のある回復の原理を選択するに当たっては
数々の試行錯誤を重ねた。


宗教的な本を望んだ仲間と
心理学的な本を望んだ仲間がいた。
ビルは最終的に
その中庸として
霊的な本を書く事になる。


ステップ2では神を
「自分を超えた大きな力」と表現する事にした。
ステップ3と11では
「自分なりに理解した神」という言葉を挿入した。
ステップ7から
「ひざまずいて」という表現を取り除いた。
そして
これらのステップへの導入文として
次のような言葉を書いた。


次に
私たちが踏んだステップを示す。
回復のプログラムとして
示されているものである。


AAのステップは提案でなければならないと考えた。


そして
アルコホーリクを
手助けしたいという試みにおいても
実に多数の失敗を重ねるなかで
その経験を一冊の本にまとめた。


1939年4月10日
ビッグブックが発刊される


ビッグブックの小売価格を
3ドル50セントに決めた。
どうしても1ドルにと強く主張した仲間もいたし
2ドル50セントというメンバーもいた。


反対した仲間に納得してもらうためにも
印刷工場にある一番厚い紙での印刷を指示した。
そのため初版の本が非常に分厚くなり
「ビッグブック」という名で
親しまれるようになった。


ビッグブックでは
アルコホーリクの視点からアルコホリズムが記述され
AAの霊的な考え方が
12のステップという形で初めて体系化され
アルコホーリクが陥る窮地に対する対処法が
明らかにされた。
ビッグブックはAAの基本テキストとなり
それは現在も変わることがない。



ビッグブック発刊後
世界中の新聞や雑誌に
卓越した記事が掲載されるようになり
医師や聖職者たちも
AAを支持し
惜しみない支援と推奨を与えてくれた。


AAの驚くべき広がりは
同時に
非常に過酷な成長の苦しみを
もたらすものとなった。
アルコホーリクが回復できることは証明された。
しかし
いまだに常軌を逸した人間たちが多数集まって
一体性を保ち
互いに回復しながら
共に生き
活動することが可能になった
という証明にはならなかった。


メンバーの条件
金銭
人間関係
グループの運営
その他数々の問題についての
険悪なトラブルがいたるところで発生した。


AAの集まりは
感情のダイナマイトをかかえている。
過敏な感情で
AAはこっぱみじんになる可能性がある。
飲んでいた頃の私たちが
一発触発の状態だったのはもちろんだが
しらふになっている今もなお
ドライドランクや感情のギザギザによって
こっぱみじんになるのだろうか?


「AAがバラバラにならないで生き続けていくためには
どうしたらいいのだろう」
あるいは
「AAはどうしたら最も効率よく活動できるだろうか」
という差し迫っている疑問へのいちばんの答えが
アルコホーリクス・アノニマスの「12の伝統」である。


1945年
手紙の往復による
グループの問題の解決は
本部にとってかなりたいへんな仕事になっていた。
本部に届く手紙の山はファイルを満杯にした。


アルコホーリクス・アノニマスの12の伝統の
基本的な考えは
このような膨大な手紙の交換から
直接生まれたものである。


アルコホーリクス・アノニマスの12の伝統は
『グレープバイン』の1946年5月号・6月号に
いわゆる「長文のもの」として初めて発表された。


1946年
12の伝統が出版される


12の伝統は
どれ一つとっても謙遜の実践だった。
それによって
日常のAAの活動のなかで私たちが守られるのだ。
もしAAが本当に12の伝統に導かれていくなら
政治や宗教、金銭
あるいは大物になりたがるオールドタイマーによって
分裂させられることはないだろう。
公共における無名の原則があれば
誰もAAを
個人の利益のために利用することができないのは確かだ。


AAのアノニミティは
単に恥や汚名からアルコホーリクを
守るためにあるのではない。
もっと深い目的は
私たちの愚かな自我がAAを犠牲にして
金銭や世間の名声を
狂ったように追い求めることを防ぐことなのだ。


1947年
伝統「長文のもの」を伝統「短いかたち」に要約した。
グレープバインに
この新しくなった伝統「短いかたち」が掲載され
AAメンバーの間に伝統に関する意識が広まった。


1950年
クリーブランドで開催された
第一回国際コンベンションにおいて
12の伝統が採択された。


1953年
AAはその霊的な原理を維持する為
「最小限度の組織しか必要としない」から
AAそのものは
「決して組織化されるべきでない」とされた。


1953年6月
12のステップと12の伝統が発刊される



本書によって
アルコホーリクス・アノニマスが
現在のかたちをとるに至った経験や原理を
詳細に把握してくださることを願ってやまない。


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