アルコール依存症からの回復

アルコール依存症からの回復のステップ

ビッグブックのステップ1

私たちはアルコールに対して無力であり
思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた


ピーター神父の訳は


われわれは
アルコールに対して無力であり
生きていくことが
どうにもならなくなったことを認めた


ビックブック 第五章 では


私たちはアルコホーリクであり
自分の人生が手に負えなくなったこと


英語原文は


We admitted we were powerless over alcohol
- that our lives had become unmanageable.


正英の解釈は


正英はアルコールに対し無力であり
(肉体的アレルギー)
正英の人生は
助けなしには手に余ることを認めた
(精神的強迫観念)


正英は
周りの人たちが
普通に飲んでいるのに
「どうして正英が酒をやめなければならないのか」
と考え
いくら言われても納得できませんでした。


正英にとって
それが大きな問題だったのです。


AAの仲間の中に入って
仲間の正直な話を聞く事によって
初めて
なぜ酒をやめなければならないのかを
納得していきました。


そして
納得して
何とかして
酒をやめたいという気持ちになったのだと


正英はそう思います。


ステップ1は
正英にとって降伏のステップです。
そして
幸福のはじまりのステップでした。


1.降伏:ステップ1・2・3
2.分かち合い:ステップ4・5・6・7
3.償い:ステップ8・9
4.導き:ステップ10・11・12


以下
ビッグブックのステップ1を引用します。


1934年の後半の事
シルクワース医師はある患者を担当しました。
彼はかつて収入の良い
非常に有能な実業家でしたが
どうにも見込みなしと見放すほかないような
アルコホーリクでした。
三度目の治療中でした。
彼は回復の可能性に向けた手段として
ある方法を思いついたのです。
彼は自分のリハビリテーションの一環として
自分が得た考えを
他のアルコホーリックに説明し始め
彼らも自分と同じようにすれば
何とかなることを強調したのです。
これがいま急速に広まっている
アルコホーリクとその家族たちの
共同体の土台になりました。
この患者と
そして百人あまりのアルコホーリクが
いま回復していると思われます。
シルクワース自身
これ以外のあらゆる方法が無惨にも
失敗に終わっているケースを
いやというほど見てきています。


シルクワース医師は
ある事を強調しておられる。
すなわちアルコホーリクの肉体が
精神と同様に異常だという事だ。
私たちは
人生にうまく適応できないから
現実から完全に逃れたいから
あるいは精神がまったくおかしいから
飲酒をコントロールできないのだと言われても
納得できなかった。
それは事実だし
かなりのところまで言い当ててもいる。
だが
私たちは自分の肉体もまた病んでいる
と確信している。


アルコホーリクに共通する症候がある。
飲み始めたら最後
必ず渇望現象が増進するという事だ。
この現象は私たちが以前提言したように
アルコホーリク特有のアレルギーの症候であり
彼らを他と明確に分けるものである。
私たちの知るかぎり
これまでにこの症候を根治できる治療法はなかった。
唯一の解決法は
まったく飲まないことしかないと
言わざるをえないのである。


人は本質的に
アルコールがもたらす酔いの効果が好きで飲む。
その感覚は実につかまえどころがなく
危険であると思っても
やがてその判断の真偽がつかなくなっていく。
アルコホーリクにとっては
飲む生活だけが唯一の日常になる。
飲んでいない時のアルコホーリクは
落ち着きがなく
イライラが強く
不機嫌であって
飲んでいっぺんにふっと楽になる感覚を
再び体験せずにはいられない。
普通の人にとって飲む事は何の差しさわりもないのだ。


だから私たちが
普通の人のように飲めるかもしれないと
役にも立たない実験をしてきたからといって
驚く事はない。
何とかなるだろうという考え
いつかは飲むのを楽しむ事ができるようになる
という大きな妄想が
病気の酒飲みに憑りついている。
この恐ろしい妄想を
たくさんの病的酒飲みは死の門口に立つまで
そうでなければ狂ってしまうまで
手放せないでいる。


ほどほどに飲む事ができない人にとっては
要するにどうすればやめられるのかが問題だ。
もちろん
私たちは読者がやめたいという願いを
持っている事を前提にしている。
その人が霊的でない方法でやめられるかどうかは
飲む飲まないの選択が
どのくらいできなくなっているかにかかっている。
私たちの多くは
自分はまだいい品性を残していると思っていた。
永久にやめようという
とても強い願いがあった。
それにもかかわらず
飲むのをやめることができなかった。
私たちが知るかぎりの
これがアルコホリズムの不可解な特徴である。
つまり
どんなにやめる必要があり
どんなにやめる事を願っても
飲まずにはいられないのだ。


そこで
多くのアルコホーリクは欲求に負けて飲み始める。
すると
アルコールへの渇望現象につかまる。
そこでお決まりの段階が始まり
飲みすぎては
後悔に襲われ
もう絶対に飲まないと固い決心をするということが
何度も何度も繰り返される。
心理現象のような霊的変化が全面的に起こらなければ
その人には回復の希望はほとんどない。


ぼくが自分を哀れんで
落ち込んでいたひどい泥沼の中での
その時の孤独と絶望はとても言葉では言い尽くせない。
浮砂は八方から流れ込み
押しつぶされそうだった。
ぼくは闘いの相手の正体をつかんだ。
手も足もでなかった。
アルコールが
僕の支配者だった。


ぼくは
ようやく自分が理解している神に
あなたの計画のままに私をお使いくださいと
謙虚に自分を捧げた。
神の配慮と指図のもと
条件を付けずに心から自分を差し出した。
生まれて初めて
自分は何物でもないこと
神なしでは自分もない事を認めた。
厳しい態度で自分の罪に対面し
それを新しく見つけた友である神に
取り除いてもらう気持ちになった。
以来
僕は一滴も飲んでいない。


学生時代の友人が訪ねてきた時
僕は自分の問題と欠点を思い切って全部彼に話した。
僕たちは自分が傷つけた人たち
自分が恨みを持っている人たちのリストを作った。
僕はこの人たちに自分の誤りを認める心の準備が
きちんとできているのだという事も言った。
相手を決して批判しなかった。
僕は自分にできる限り
一つ一つの事を正していった。


僕は自分が考えている事を調べる。
新しい僕が意識している神にすがって。
常識が非常識になる。
確かでない時は
静かに座って
神の計画のままに僕の問題の方向付けと
それに立ち向かう強さが得られますように願う。


友人は
この原理を生活のどんな事にも実践する事が
絶対に必要だと強調した。
友人が僕にしたように
僕にも他の人と一緒に取り組むことが特に欠かせない。
行いを伴わない信仰は死んでいると
彼は言った。
これはアルコホーリクにとって
ぞっとするほどの真実ではないか!
なぜなら
もしアルコホーリクが
他の人への働きかけと自分を犠牲にする事を通して
霊的な生き方を育て
広げることができなかったなら
彼らはこの先いつくるかわからない
試練や窮地に生き残れない。
取り組まなければ
また飲んでしまう。
飲めば必ず死ぬ。
死んでいる信仰
それは僕たちにとってはこういうことだったのだ。


これらは革命的な思いきった提案だった。
だがその提案を完全に受け容れた瞬間に
効果は電撃のように現れた。
続いて勝利感が
それからかつて一度も味わったことのない
平安と落ち着きがやってきた。
完全な自信があった。


僕が軽やかに打ち上げられている山の頂には
清らかな力強い風が吹いていた。
幾たびも
やむことなく。
神の訪れは
ふつう
ゆっくりとしたものである事が多いのだろう。
ただ僕の場合
それは僕の深いところに突然訪れたのだった。


私たちは自分がアルコホーリクであることを
心の底から認めなくてはならない事を知った。
これが回復の第一ステップである。
自分は普通の酒飲みと同じだという
あるいは今にそうなれるかもしれないという妄想を
まず徹底的に打ち砕かなくてはならないのだ。


*右端:ビル 左端:ボブ 中央の煙草を吸っている女性:アン(ボブの妻)

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