アルコール依存症からの回復

アルコール依存症からの回復のステップ

1939年4月10日 ビッグブック 発刊

ビルとボブは
1935年9月頃には
酔っぱらいたちが関心を持てるような
案内書あるいはプランを書く事に
真剣に取り組んでいました。


その後
ビルとボブは
私達の課題に対する回答は
聖書の中にあると確信しました。
私達のような古くからの者にとって
無条件に重要であると思われる箇所は
山上の説教
コリントの信徒への手紙の第13章
ヤコブの手紙であった と。


ビッグブック出版の計画は
1938年5月には
既にその準備が始まっている。


第1章と第2章が
1938年6月には完成した。


アルコホーリクス・アノニマスは
一時
ビッグブックの著者名として
提案された事がある。
アルコホーリクス・アノニマス著
『百人の男たち』という提案である。
他の書名の提案として
『出口』
『安息の場所』
『夜明け』
などがあったが
アルコホーリクス・アノニマスは
すでに1937年には共同体の名称として
限定的に使われ始めていたのである。


ビルはアン(ボブの妻)に
『妻たちへ』の章を執筆するように提案している。
アンがそれを書かなかったのは
ひとえに彼女の謙虚さの
せいだったのかもしれない。


ロイスもその章を書く事はなかった。
彼女は自分が書こうかと申し出たが
ビルから
「いや、だめだ。
本にまとめるには文体の統一が必要だ」と
断られたのである。


後にロイスは述べている。
「そのことで、ずっと私は傷ついていました。
今でも
どうしてビルは私に頼まなかったのか?
その理由が分かりません。
もっとも
私からは二度と蒸し返すことは
しませんでしたが・・・」と。


結局
ビルが『妻たちへ』の章を自分で書いた。


宗教的な本を望んだ仲間と
心理学的な本を望んだ仲間がいた。
ビルは最終的に
その中庸として
霊的な本を書く事になる。


ステップ2では神を
「自分を超えた大きな力」と表現する事にした。
ステップ3と11では
「自分なりに理解した神」という言葉を挿入した。
ステップ7から
「ひざまずいて」という表現を取り除いた。
そして
これらのステップへの導入文として
次のような言葉を書いた。


次に
私たちが踏んだステップを示す。
回復のプログラムとして
示されているものである。


AAのステップは提案でなければならない と
ビルは考えたようです。


これが信仰の薄い人や
あるいは信仰をまったくもたない人々に
対する最終的な譲歩だった。
無神論者や不可知論者達の偉大な貢献だった。
彼らは
私達の入り口を広くして
苦しんでいる人なら誰でも
その人の信仰や信仰の欠如にも関係なく
通り抜けられるようにしたのだった。


ビッグブックの小売価格を
3ドル50セントに決めました。
どうしても1ドルにと強く主張した仲間もいたし
2ドル50セントというメンバーもいた。


反対した仲間に納得してもらうためにも
印刷工場にある一番厚い紙での印刷を指示した。
そのため初版の本が非常に分厚くなり
「ビッグブック」という名で
親しまれるようになった。


1951年
アルコホーリクス・アノニマスは
ラスカー賞を受賞しました。
授賞理由には
「人間の数限りない他の病気にも
広範な可能性を提供するものである」とあります。


なぜか?
暴走した本能を
本来の本能の目的に
戻すための提案が
ビッグブックに書かれているからだと


正英はそう思います。


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