アルコール依存症からの回復

アルコール依存症からの回復のステップ

ビッグブックのステップ3

私たちの意志と生き方を
自分なりに理解した神の配慮に
ゆだねる「決心」をした


ぼくは
ようやく自分が理解している神に
あなたの計画のままにお使いくださいと
謙虚に自分をささげた。
神の配慮と指図のもと
条件を付けずに
心から自分を差し出した。
生まれて初めて
自分は何者でもないこと
神なしでは自分もないことを認めた。


ステップ3は
オックスフォード・グループの
「降伏」のステップです。
オックスフォード・グループの書物では
「降伏」という言葉は
「神が私たちを創造するときに
惜しげもなく私たちに与えてくれた
『意志』を神に返すプロセス」と
定義されていました。


ビッグブックでは
私たちが傷つけられたものは何かと
問いかけている。


傷つけられたのは
私たちの自己評価
身の安全
野心
対人関係
性の関係・・・


これらは
生きていくうえでの基本的な本能である。


創造主は
ある目的のために本能を与えた。
本能なくして完全な人間とはいえない。


安全の本能
もしも人間が
自分の安全を守ろうとしなかったり
食物の収穫や住まい造りに努力しなかったら
生き残ることはできなかったろう。


性の本能
もしも子孫をつくらなかったら
地球は無人の境地となっていたろう。


共存本能
もしも人間に共存本能がなく
人との交流に注意を払わなかったら
社会というものは存在しなかったろう。


これらの欲求
性的な関係
物質的、感情的な安定
そして仲間作りへの欲求は
本当に必要で正当なものであり
それはまぎれもなく
神から与えられたものである。
人間はこうした本能を
有する存在である。


しかし
それほどまでに私たちの存在にとって
必要な本能も
本来のはたらきをはるかに超えることがよくある。
それらは強力に
盲目的に
ときには巧妙に私たちをあやつり
威圧し
そして生命まで支配しようとする。
セックスへの
物質的、感情的安定への
また社会的地位への欲望が
しばしば私たちに猛威をふるう。
そのように枠をはずれると
人間の持つ自然の欲求は
実にありとあらゆる大きな問題を引き起こす。
私たちの全ての問題は
コントロールを失った基本的本能が
もたらすものである。


どんな人間でも
どんなに立派であっても
その問題からまぬがれることはできない。
重大な感情的問題のほとんどは
本能が誤った指示を受けた場合に
見られるといっていい。
その時
持って生まれた
すばらしい資産であるはずの本能が
肉体的にも精神的にも負債に変わる。


「決心」するステップ3はきわめて重大で
決定的に重要な役割を果たすものだ。
だが
それだけでは永続的に
新しいい生き方を続けていくことはできない。
その決心に「すぐ」続いて
自分のなかにある
生きていくうえでの
障害となってきたものに直面し
それを捨てるための絶え間ない努力をし
続けていかなければならない。
私たちにとって飲むことは
問題の一つの症候にすぎなかった。


「決心」に続くステップ4は
これらの負債が私たち一人ひとりにとって
何であったか
何であるかを見つけるために
労を惜しまず
積極的に努力することである。
私たちはこの自然の欲求が
正確にいつどこで
どのように私たちを狂わせたのかを知りたい。
そのために他の人びとや
私たち自身に降りかかった不幸に
真正面から向き合いたい。
私たちは
自分の感情的なゆがみを
見つけることによって
それを直す方向に進むことができるのだ。
これを実行する意欲的で
ねばり強い努力なしには
飲まない生き方はありえないし
満ち足りたやすらぎもない。
徹底的で
怖れを知らない棚卸しをしない限り
日常生活で本当に役立つ信仰には
到達できないことに私たちは気づいた。



私たちはアルコホーリクであり
自分の人生が手に負えなくなったこと


おそらくどのような人間の力も
私たちのアルコホリズムを
解決できない事


神にはそれができ
求めるならばそうしてもらえる事


この考えを踏まえて
私たちは
第3ステップのところに立った。


初めに必要なのは
自分の意志で突っ走ろうとする人生は
うまくいくものではないと受け容れることだ。
そういう人生は
どんなに良い事を目指していてもまず年がら年中
人との間に
あるいは何かの事でごたごたが絶えない。
ほとんどの人は
自分の力でなんでも進めて生きていこうとする。


誰もが
何もかも取り仕切りたがる役者のようで
照明を
踊りを
舞台装置を考え
全部の出演者を
自分のやり方で動かそうとする。


自分本位で
利己主義
それが私たちの問題の
おおもとなのだ。
怖れ
自己欺瞞
身勝手
自己憐憫
さまざまな形のそうした感情に駆り立てられて
私たちは人の足を踏みつける。
相手も踏み返す。
時には理由もなしに人に傷つけられる事がある。
だが実は
過去に私たちが
自分勝手な決断をしたために
その結果
いま自分が傷つく立場に立たされているという事に
いやでも気づかされる。


私たちの問題は
実は全部自分で招いた結果なのである。
私たちが自分で問題を起こしたのだ。
気が付いてはいないが
アルコホーリクの行動は
頑固な自我による極端な暴走にすぎない。


私たちは何よりもまず
この頑固な自分本位の考えを
捨て去らなければならない。
捨て去らなければ殺される。
だが神の助けなしには自分を捨てる事など
もちろんできない。
だから神の助けが必要なのだ。


その理由と方法について述べよう。
まず
私たちは自分が神のように振舞う事を
やめなくてはならなかった。
そんな事がうまくいくはずはなかったのだ。


次に
これからの人生では神が指揮者であり
自分はそれに従う事を決心した。
神が主で
私たちはその代理なのである。
あるいは神は父であり
私たちは子であるといってよい。
要するに良い考えというものはいつも単純なのだ。
この考えこそが
私たちが自由になるためにくぐった
新しい凱旋門を作る要となる石なのだ。


そういう姿勢で
生きていこうと心から決めた時
さまざまな素晴らしい事が続いた。
私たちは新しいボスを得た。
神は全能であり
私たちが神から離れず
神の動きに従って行動した時
神は私たちが必要なものを
与えてくださった。


その足場に身を置くと
少しずつ
自分のちっぽけな計画や
願いに関心がなくなっていった。
世の中に貢献するために
自分ができることのほうに
だんだんと関心が向いていくようになったのだ。
心の平安を楽しみ
人生にうまく向き合える事がわかり
神が自分のそばにいつもいることを
意識するようになるにつれて
新しい力が次々に自分に注がれるのを感じた。
今日の
明日の
そして未来の怖れは消えていった。
私たちは生まれ変わったのだ。


この霊的なステップは
妻とか親友
宗教者などのような理解ある人と
一緒に行う事が望ましい事がわかった。
だが
誤解をされる怖れのあるような
誰かと一緒にするくらいなら
一人で神に会うほうが良い。
もちろん
どういう事を話すかは
自分の考えをありのままに
口に出していけばよいのであって
まったくの自由である。
それはほんの始まりにすぎない。
だが
正直に
謙虚に行っていけばすぐに
非常に大きな力が働いていることが感じられる。


神よ
私をあなたにささげます。
あなたの意志のままに
私を利用してください。
私が自分勝手な思いから解放されて
あなたの意志を実行できますように
どうぞ導いてください。
私の困難をどうか取り除いてください。
その結果として
私の勝利が
あなたの力
あなたの愛
あなたにもらった生き方の証しとなりますように。
私が手助けしたいと願う人たちにとって・・・
私がいつもあなたの意志を行う事ができますように!


神さま
私にお与えください
自分に変えられないものを
受け容れる落ち着きを
変えられるものは
変えてゆく勇気を
そして
二つのものを見分ける賢さを


私の意志ではなく
あなたの意志が叶えられますように


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