アルコール依存症からの回復

アルコール依存症からの回復のステップ

ビッグブックのステップ2

自分を超えた大きな力が
私たちを健康な心に戻してくれると
信じるようになった


健康な心(正気)を
取り戻す必要があるということは
少なくとも現在の私たちの心は健康ではない
狂っている(狂気)ということである。
狂気は一杯飲んだ後ではなく
一杯飲む前に生じている
私たちをコントロールし飲ませてしまう
強迫観念(妄想)である。


アルコホーリクの飲酒の問題は
決して一口飲んだ後ではない。
まだ飲んでいない段階で
虚偽を信じて
行動を起こそうとする時から始まっている。


アルコホーリクはあるとき
最初の一杯に対する防御の気持ちを
なくしてしまう。
ごくまれな例を除いて
自分自身であれ
ほかの人であれ
その一杯をやめさせられる人間はいない。
その力はハイヤー・パワーだけが
与えてくれるのである。


ビッグブックの目的は
あなたが自分の問題を解決するのに必要な
あなたを超えた偉大な力を見つける
手助けをすることである。


生き方を変えるための
解決策があると信じよう。
解決策はきっと見つかると信じよう。


生き方を変える事を
できるという確信がなくても
変える事ができると信じることが
スタート地点となる。


一つだけ自分に尋ねる必要はあった。
私はいま自分より偉大な力がある事を信じているか。
あるいは
信じてみようという気はあるか。


信じる
あるいは信じてみようという気が
あると答えた人の成長の旅は始まっていると断言できる。
それは繰り返し証明された
私たちが知っている事実である。


私たちが変わりたいと思うなら
まず自分は変われると
信じなくてはならない。
これがステップ2である。
ステップ1で
変わらなくてはいけない事を認める。
ステップ2で
変わることができると信じる。
つまり
自分が変われると信じなければ
変われないのである。


ステップ1では
自分は無力であり
自分の力では状況を変える事が
できない事に気づいて
自分を変えたいと思うようになる。
ステップ2では
自分は変われるという可能性と
その事を実現してくれる力が
存在する可能性を信じるようになる。
ステップ3では
自分が信じた事に基づいて
行動する事を決心する。
ステップ4から11までは
自分が信じ決心した事に基づいて行動する。
そしてステップ12において
あるいはそのこ至る過程で
自分の行動の結果を受け取る。
受け取るのは霊的な目覚めと変化
そして
アルコホリズムという病気からの
回復である。


友人は
その時の僕には珍しい考えとしか
思えなかった事を言った。


自分で理解できる
神の概念を選べばいいんだ。


僕ははっとなった。
これまで僕が
長い事その陰に隠れて
震えながら生きてきた知性の氷山がこの時解けた。
ようやく僕は太陽の光の中に立ったのである。
自分より偉大な力を
信じる意欲さえあればいいのだ。
始めるのには
そのほかには何も必要ない。
そこから何かが育ち始める。
真剣にやる気があれば
この友人のようになれるかもしれない。
僕もなれるだろうか。
もちろんだ!


自分を超えた偉大な力への信仰と
その力によって人生に現れる奇跡は
人類が始まってからずっとあったのだ。
その「偉大な実在」を私たちは
自分のいちばん深いところに見つけた。


神が一人ひとりの人間の中に宿るという事は
私たちの中に
自分の神またはハイヤーパワーが
存在している事を意味する。
私たちは
自分の理解するハイヤー・パワーと
素直に語り合い
関わる事ができる。


私たちは何かを始める時
確実な出発を望むようだ。
始める前から
確かな確信を求めてしまう。


私たちに与えられたそれぞれの信じる力は
おそらく私たちを超えた
何らかの力によって導かれ
方向づけられているのだと思う。


私たちは
「自分を超えた大きな力」を
理解したいという気持ちに
苦しむ事がある。
「自分を超えた大きな力」が
信じられるようになる一つの方法は
私たちのまわりにいる
「自分を超えた大きな力」によって
変えられた人々を見る事である。


変わろうという意欲が生まれ
変わる事ができると
信じる気持ちが強くなれば
変わろうと決心する事ができる。
決心に基づいた行動によって
結果が生まれる。
経験と結果に裏打ちされ
変わる事ができると確信する事ができる。


確信とは
プロセスをやり遂げた結果から得られるのだから
ステップ12が結果であり確信である。


ステップ12
これらのステップを経た結果
私たちは霊的に目覚め・・・


だから
ステップ2でこの結果の確信を期待してはいけない。


最初の段階で確信をもつことなど不可能である。
最初は信じる事しかできない。
そして
この信じる事こそが
スタートにあたって必要なすべてである。


オックスフォード・グループの創始者である
フランク・ブックマンに


あなたのプログラムは人生を変えるために
降伏、罪の点検、告白とその分かち合い、償い
そして証しをするよう教えています。
しかし、なぜまた
そんなことをしようとするのですか?
と尋ねた人がいた。


彼は一言
どうにもならなくなってしまったからです
と答えた。


ステップ1
(a)わたしたちはアルコホーリクであり
   自分の人生が手に負えなくなったこと


ステップ2
(b)おそらくどのような人間の力も
   私たちのアルコホリズムを解決できないこと
(C)神にはそれができ
   求めるならばそうしてもらえること


この考えを踏まえて
私たちは第3ステップのところに立った。
私たちが理解している神に
私たちの意志と生き方を
ゆだねる「決心」をしたのである。


AAにある問題を解決してくれる2つの力


私たちを支えてくれるフェローシップ
私たちを支えてくれる力は
AAのミーティングに出て
ほかのアルコホーリクの話を聞いたり
一緒に話し合ったりすることで
見いだされる。
AAのフェローシップには
強さと力がある。


私たち一人ひとりにとっての偉大な事実は
私たちが共通の解決方法
シンプルな霊的道具一式を
見つけたということにある。
そして
私たちは一人ひとりが深い魂の奥底に
ひびく霊的体験をした。
そのことで
私たちの態度に画期的な変化がもたらされた。
私たちの多くは
歳月をかけて自分の生き方に
12のステップを応用していくうちに
ゆっくりと霊的な変化をとげていった。
時間をかけてゆっくりと
霊的に目覚めてゆくのである。


私たちを変えてくれる行動のプログラム
12のステップには
アルコホリズムから回復するために
充分な人格の変化をするための力がある。
私たちが
霊的体験、霊的目覚めと呼ぶ力である。
つまり12のステップを実践して得られた
霊的な経験と力と希望を分かち合うのです。


カール・ユング博士は
ローランド・ハザードに解決策を与えた。


君のようなケースでの例外は
ずっと以前からあった。
ときどき
あちこちの場所で
アルコホーリクが
いわゆる「決定的な霊的体験」を経験している。
ずっと持っていた人生への考えや情緒や態度が
突然取り除かれて
それに代わる新しい考えと
生きていく動機が支配し始める。


アルコホーリクに残された道は
耐えられない状態に目をつぶって
行き着くところまで突き進むのか?
それとも霊的な助けを受け容れるのか?
飲み続けるのか?
決定的な霊的体験を受け容れるのか?


ステップ2のテーマは
力とは何か?
その力に何をしてもらいたいのか?
その力はどこから生じるのか?
ということである。


行動のプログラムのステップを
実践するとき
私たちはその力に近づく。
そして
その力が私たちを健康な心へ戻してくれる。


私たちは人々に神を証明しようとはしない。
あなたが信じてみようという気になり
進んでこのプログラムにしたがうなら
そのとき
神が自らをあなたに証明するだろう。


私たちは精神的
身体的に病んでいたばかりでなく
霊的にこそ病んでいたのだ。
だからそれが克服された時
私たちの精神も肉体も回復した。


理解しない人には不思議と
思えるかもしれないが
一旦霊的な変化が起こると
もう見放されたも同然だった人
多くの問題をかかえて
とうてい解決の見込みもなく
絶望していたその同じ人が
アルコールへの欲求を
簡単にコントロールできるように
なっている自分に気が付く。
そのためにただ一つ必要な努力は
幾つかの簡単なルールに従うだけのことなのだ。


善い道徳や人生哲学があれば
飲酒の問題が
克服できるというのであれば
私たちはずっと昔に回復していたはずである。
けれども
道徳や哲学に
どんなに真剣に取り組んでも助からなかった。
道徳的に生き
哲学に心のやすらぎを求めようと思い
一生懸命に決意を固めたのに
私たちに
飲むのをやめるのに必要な力は与えられなかった。
人間の意志と力ではどうにもならなかった。
何の役にも立たなかったのである。


私たちが
何よりも強調したいのは
どんなアルコホーリクでも
霊的な概念に対して
心を閉ざさずに
自分の問題に正直に直面することができれば
私たちの体験に照らして
回復できるということである。
障害となるのは
不寛容で
攻撃的な否認の態度だけだ。


このステップの
霊的な部分でつまずく事はまったくない。
意欲と
正直さと
開かれた心とが
回復に必要な核心である。
これらなしに回復はありえない。


生き証人の友人がいるのに
僕には古い偏見の跡が残っていた。
神という言葉は
まだある種の反感を僕に引き起こした。
僕にとっての
僕だけの神があるかもしれないと言われたとき
抵抗はもっと強くなった。
気にくわなかった。
創造的知性
宇宙の精神
どんなものにも宿っている魂というようなことは
受け容れられたが
天の皇帝といった考えには
それがどんなに慈悲深い
支配者だと言われても反発を感じた。
僕は
僕と同じように感じている
何人もの人間に出会っている。


友人は
その時の僕には珍しい考えとしか
思えなかった事を言った。
「自分で理解できる
神の概念を選べばいいんだ」
僕ははっとなった。
これまで僕が
長い事その陰に隠れて
震えながら生きてきた知性の氷山がこの時解けた。
ようやく僕は太陽の光の中に立ったのである。
自分より偉大な力を
信じる意欲さえあればいいのだ。
始めるのには
そのほかには何も必要ない。
そこから何かが育ち始める。
真剣にやる気があれば
この友人のようになれるかもしれない。
僕もなれるだろうか。
もちろんだ!


私たちが自分を超えた偉大な力への偏見を捨て
信じようという気持ちになった時
結果は表れたのだ。
その力について
また神について
よくわからなくても
理解できなくてもかまわなかった。


私たちが
神のことを話すときには
だからあなたがあなたなりに
理解している神を指している。
またこの本の中に出てくる霊的な表現についても
同じである。
あなたはまず
霊的という言葉について
前から持っている考えを捨ててほしい。
それは霊的という事が
自分にとってどんな意味を持っているのかを
正直に自分に問いかける邪魔になるからだ。
霊的に成長し
自分なりに理解できる神と
意識的にかかわるための
出発に必要なのはそれだけだった。
そうして時間がたてば
とうてい
手の届かないものにしか思えなかった多くの事が
受け容れられるようになった自分に気づくようになる。
それが成長なのだが
成長するには
どこかで始めなければならなかった。
だから私たちは
自分なりの神への理解から始めた。
たとえそれはせまく
かぎられた
理解だったとしても。


アルコール地獄の
みじめさに直面し
いろいろな問題に対して
努力したのと同じように
霊的な事柄にも心が開くようになった。
その点では
アルコールは偉大な説得者だった。
アルコールはとうとう私たちを打ち負かし
正しい状態に叩き込んでくれた。
だがそれはうんざりする道のりだった。
あなたが
私たちほど長いあいだ
偏見にしがみついていないように願っている。


私たちは宇宙の持つ
霊的な力に素直に頼る事で
その人たちの問題が解決していくのを目にした。
だから神の力を疑うわけにはいかなくなった。
私たちの考えは役に立たなかったが
神の考えは見事に働いたのだ。


アルコホーリクになり
あとまわしにすることも
避ける事もできない
自分で招いた危機に打ちのめされた私たちは
神がすべてか無かという命題に正面から
向き合わなくてはならなかった。
神が存在するかしないか。
私たちはどちらを選ぶのか。


あらゆる情報をはばむ障壁であり
あらゆる論争の反証となり
そして人間を永遠に
無知にとどめておく
力をもった原理がある。
それは
調べもしないで
試しもしないで
頭から軽蔑する事である。


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