アルコール依存症からの回復

アルコール依存症からの回復のステップ

ビッグブックのステップ5

神に対し
自分に対し
そしてもう一人の人に対して
自分の過ちの本質を
ありのままに認めた


神を頼みとし
そして他の人を頼みとして生きている人が
いちばん幸せに生きている。
だから
人生の指針とは
自分自身だけでなく
神と他の人々を頼みとする生き方の事である。


ステップ5は
真実のさらなる探求である。
ステップ4で見つけた情報を検討し
真実かどうか確かめる。
つまり
確かな真実を手に入れるために
ステップ4で明らかになったものを
より正確な真実にするのである。


ステップ5で
私たちが神と自分自身ともう一人の人に
自分の問題を認める理由は
自分の問題について違う角度から見て
客観的な判断を得るためである。
他人の視点を取り入れる事が重要となる。


要するに
ここで提案されているいちばん大切なことは
自分の問題を自分以外の人に話すという事である。
その理由は
自分の問題には自分自身が
感情面で深く巻き込まれているからである。


ステップ5には
自分の過ちの「本質」をありのままに認めた と
書かれている。
恨み、怖れ、人を傷つける行為は
どこから生じたのか?


私たちが探しているのは
自分の過ちの「本質」である。
利己的ではなかったか?
不正直ではなかったか?
身勝手ではなかったか?
怖れていなかったか?
配慮に欠けていなかったか?


少なくともこうした性格上の欠点の一つが
本能や自我のコントロールを失わせ
あらゆる問題を引き起こしたのである。


自分の過ちの本質
利己的、不正直、身勝手、怖れ
配慮の欠如が
度を越えたものでなければ
誤った行動のもとである
誤った考えを抱かないだろうし
そうなれば
人を傷つける事もしないという事である。


ステップ5に取り組むカギは
ステップ3の決心と
ステップ4の努力、正直さだろう。


誰に自分の話をするかを決めたら
一秒たりとも無駄にせず早速実行にかかろう。
前もって書いた棚卸表があるのだし
長い話をする準備もできている。
その人に
自分がしようとしている事と
なぜそうしなくてはいけないのかを説明する。
私たちが生死にかかわる大事に取り組んでいる事を
理解してもらおう。
話しを持ちかけられた人のほとんどは
喜んで助けになろうとしてくれるはずだし
自分がその相手に選ばれた事を
名誉に思ってくれるだろう。


私たちはおごりを捨て
どのような性格のゆがみにも
過ぎ去った過去の暗い裂け目にも
くまなく光を当てていく。


~大掃除の意欲~
他人に対して正直になってはじめて
自分に対しても神に対しても
正直であることが証明される。


その学生時代の友人が訪ねてきた時
ぼくは自分の問題と
欠点を思い切って全部彼に話した。


自分の事となると
私たちは自己防衛
自己弁護に忙しく
真実を見るのが難しい。
自分の真実は他人が見たほうが
客観的に見える事が多い。


ステップ5の主な目的は
もう一人の人の助けを得て
自分に関する正確な情報を
余すことなく引き出す事である。


重要な事は
利己的
不正直
身勝手
怖れ
配慮の欠如
という性格上の欠点を見つけ出す事である。


どんな場合に自分の欠点が出やすいか
そのパターンが分かるようになると
人間関係は格段に良くなる。
自分自身にも短所がある事を知ったので
以前ほどには
他人を裁く事が出来なくなるだろう。


怒りと恨みの感情は
私たちの基本的本能のどこかが
脅かされたから生じたのであって
だから私たちは
「激しく怒った」のである。


私たちの
過ちの正確な本質を見つけるために
自分の本能のどの部分
どんな欲求が影響していたのか?


共存本能(自尊心、プライド、対人関係)
安全本能(物質的安全、感情的安全)
性本能
野心


私たちは
自分が反応する事で
自分がどんなふうに他人に
コントロールされてしまうか
その仕組みが分かるようになる。
私たちの心の考えが
行動までが他人によって
コントロールされてしまうのである。


他人の行動に
いちいち反応していた以前の私たちに比べれば
私たちはもっと自由になれるだろう。
かつての私たちは
感情面の障害を抱えていたし
他人に生き方を
取り仕切られていたようなものだった。


ステップ5で目指すのは
性格上の欠点を突き止める事である。
性格上の欠点が特定できた時に
それらの性格上の欠点が
どれほどばかげており
どれほどちっぽけで
どれほど嫌なものであるかを認め
もうそんな欠点を持っているのは
嫌だと思えるようになる。


私たちは人を恨み
怖れて酒を飲んだ。
そしてそのために
生活をめちゃくちゃにしてしまった。
だから
最も大切な事は
恨みや怖れの原因となった
性格上の欠点を取り除く事だ。
それらの性格上の欠点を取り除かなければ
当然に恨みや怖れが戻ってくる。


利己的か?
不正直か?
身勝手か?
怖れか?
配慮の欠如か?


ステップ5で
私たちは
私たちの過ちの「本質」を発見する。
私たちの過ちの本質は
常に性格上の欠点になっていく。
欠点を取り除こうと
絶え間なく歩みを進める時
ワクワクするような
成長と変化の旅が始まる。


もし私たちが
この大切なステップを避けて通れば
飲酒の問題は
克服できないということである。
新しくやってきた仲間たちは
とかく問題の一部については
自分の胸の中だけにしまっておこうとする。
謙虚さが必要である。
この経験を避けて
もうちょっと手軽なやり方で済ませようとする。
そしてほとんど例外なく彼らは酔っぱらう。
プログラムのそれ以外の事は
きちんとやったのに・・・
なぜ失敗したのか?
彼らは不思議がった。
彼らはまだ
家の掃除をし終わっていなかったのだと
私たちは思う。
彼らはきちんと
棚卸しをしたようだったが
いくつかの最もひどい事を棚上げしておいた。
自分では利己主義も
怖れも消えたと思っていた。
自分では謙虚になっていると思っていた。
だが
謙虚さも
怖れを捨てる事も
正直さも
私たちが必要だと考えるところまでは
充分に身についていなかった。
誰かに何もかも包み隠さず話してしまわなければ
だめだったのである。


その人は秘密を守る事ができ
私たちが何を目指しているのかを十分に理解し
好意的に受け止めてくれ
私たちの計画を
変更しようとしたりしない人でなくてはならない。
だからといって
相手をさがす難しさを
実行を延ばす口実に利用してはならない。


何一つ包み隠さずにこのステップを済ますと
回復に必要な充分な人格の変化が始まる。


私たちは晴れ晴れとした気持ちになり
世の中とまともに向き合えるようになる。


安全な安らぎと
心の落ち着きが得られるようになる。


怖れは去り
創造主を身近に感じ始める。


すでに何かの形の霊的なものを
信じていたとすれば
いまは
霊的な体験を持つようになる。


飲酒の問題が消えたという感情が
強く起こってくる事がある。


私たちは宇宙の霊と手をつないで
広々とした王道を歩いているように感じる。


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