アルコール依存症からの回復

アルコール依存症からの回復のステップ

ピーター神父のステップ(物語より)

私は

函館のトラピスト修道院を逃げ出して
3週間ほど行方不明になっていた。
ちょうどその頃
一人のアメリカ人(ミニー神父)が
私の噂を聞いて
しきりに探してくれていた。
無一文になって
仕方なしに大阪へ帰った私を待っていたのが
「こっちへ来て、一緒にやってみないか」
という彼のメッセージであった。


1974年11月29日
それは私の45歳の誕生日であったが
その日
私は東京に来て
彼の属する宣教会の本部で初めて彼に会った。


「この通りにやれば
どんなにひどいアルコール中毒者でも必ず回復できる
そういうプログラムがある」
と彼は言った。
一緒にやらないか
というのはその事だった。


彼は
神父で、大学教授で
そしてアルコール中毒者だった。
そこまでは私と全く同じだった。
ところが
私は神父を辞めて早く死にたいと思っている
絶望したアルコール中毒者だったのに
彼は回復したアルコール中毒者だった。


彼は
アルコール中毒者の回復について
確信をもっていた。
私自身が信じられない
私の回復を彼が信じてくれた。
その確信を私に伝えてくれたのだった。


私は彼を信じた。
やってみる気になった。
自分が全く無力である事を認め
初めて本気で助けを求める気持ちになったのである。
それは
生きる事がどうにもならなくなり
死に場所を求めていた私が
もう一度生きてみよう
と決断した事でもあった。
私は
酒をやめて回復するためなら何でもやる
という気持ちになった。


「何をすればいいんですか?」
「歩く事だ」
と彼は言った。
それは自分の足で歩いて仲間に会いに行く
という事だった。


「歩く」というのは
心底生きる事を願っているアルコール中毒者が
酒をやめて生きるために
「行動する」事だった。


東京に来て
3ヶ月たった。
私はそれまで
自分の力で3ヶ月
酒をやめた事がなかった。
3ヶ月飲まないでいる事は
それまでの私には不可能だった。


正気ではなかったのに
自分は正気だと信じていた私には
正気になりたいと願う力もなかった。


だから
私が3ヶ月酒をやめ
いくらかでも正気になったのは
明らかに私自身の力ではなかった。
その不可能を可能にした力こそ
「自分より偉大な力」であった。


それは不思議な力であった。
夢も希望もなくして
精神的にも肉体的にも
瀕死の状態にあった人間を
ここまで回復させ
正気に戻し
生きる力を与えているのだから
それはまさしく
「自分より偉大な力」だった。
その存在は疑う事のできないものだった。


回復のプロセスでその実在を体験している
「偉大な力」を
何ものとも限定せずに
AAの仲間達は
「ハイヤー・パワー」と呼ぶ。
それは
私の体験では
仲間の集まり
正直な仲間の言葉を通して
私を内面からつくり変え
アルコール中毒によってなくしてしまった
人生における大切なもの
信じる、希望、愛する力を回復させ
生きる歓びを与えてくれた不思議な
「力」であった。


それはたぶん
「神さま」としか呼びようのない何かなのだ
と思えるようになった。


誰かがAAプログラムの中に
「神」の名を見て抵抗を感じるとすれば
その人の神は多分
「自分なりに理解した神」ではなく
自分が信じていない
「他人が理解した神」である場合が
多いように思う。


我々がAAのプログラムの中で
神に出会う事を嫌がった理由は
「自分なりに理解した」
神ではなかったからではないのか。


私は
子どもの頃から信じていた神
哲学と神学で学んだ神の知識を
ひとまず棚にあげて
私を回復させ
私を生かしてくれている
ハイヤー・パワーへの信仰から出発した。


その「力」が何であるか
説明は求めない。
ここに
「自分を超えた偉大な力」がある
と私が感じるのだからそれでいい。


AAプログラムを始めて
楽に酒をやめている自分を発見して
私は
このやり方を続けていけば大丈夫だ
と感じた。
それは
自分の全ての問題を
「自分なりに理解した」神に
おまかせする事と同じだった。


忌まわしい過去に対する後悔
将来への不安
周囲の思惑に対する怖れ
こういったものが
アルコール中毒者の内面に渦巻いている限り
その人は酒をやめ続ける事ができない。


アルコールの問題を含む自分の一切を
「自分なりに理解した」神さまにおまかせする
という考えは
しばしば
アルコール中毒者を飲む危険から救ってくれる。


自分ではどうにもならない
そういったものはハイヤー・パワーにおまかせだ
と考える事は
思考を転換するテクニックであった。
そうする事で楽になった。


もちろん「おまかせ」といっても
自分は何もしないという事ではない。
生きる事を人任せにはできない。


だからこの「おまかせ」の意味は
神の意志に従って生きるために
努力をする事だったのだ
と思うようになった。


我々は人間の言葉しか理解できない。
だから神は人間を通して語られる。
アルコール中毒者である私に
神の意志は
アルコール中毒者の仲間を通して
語られたのである。
私はそれが神の霊の働きではないか
と思うようになった。


アメリカ医師会やWHOが
アルコール中毒は病気である
という声明をだした。


私の過去のアルコール中毒的行動は
病気の症状であった。


病気の症状だったと言っても
現に自分がやった事には違いない。
それをすべて病気のせいにしてよいのか?
飲まないで生きていくためには
「大掃除」が必要であった。


真実をありのままに見る勇気をもって
自分の棚卸しをする。
それを一人の人間に話す。
それによって
自分の過去をありのままに
神と人間に対して認め
自分自身に受け容れるのである。


正直に洗いざらい言葉にして吐き出す事で
不思議と事の本質が明らかになり
心に引っかかっていた過去のがらくたが
取り除かれたと感じる。


徹底した大掃除をしてみたら
自分の姿がさらに明らかになり
たくさんの重大な欠点がある事に気づいた。
ものの考え方
感じ方
刺激に対する反応の仕方が
ゆがめられていたり
異常に過敏であったりする事が分った。
これまで気づかなかった
または
自分に限ってそんな事はないと思っていた
恨み、妬み、怒り、怖れといったものが
いっぱいある事を認めた。


自分の欠点を認め
それを直していく事も
私は自分の力ではできなかった。
助けが必要だった。
もう一度自分の無力を認め
「自分を超えた偉大な力」にゆだねる事が
必要だった。


生まれてこの方今日まで
特に飲んでいた間
私はたくさんの人を傷つけている。
これまでに破壊した人間関係を
新たに建設しなければならない。
誰かをひどく恨みながら
飲まないで生きる事はできない。
人間関係の回復が必要である。


大切な事は
新たに人を傷つけない事と
飲まないで回復する事である。


むろん
それで埋め合わせが済んだ
などとは思っていない。
これからの一生が埋め合せであろう。
焦らずに待っていれば
神が良いように導いてくださり
チャンスを与えてくださる。


欠点を直し
人間関係を立て直していくためにも
酒に戻る危険を避け
成長していくためにも
日々の棚卸しが必要になってくる。
現在の自分を正確に把握するために
今日一日の「事実」をチェックするのである。
真実を「ありのまま」に認め
良い事も間違った事もそのまま受け容れて
神にゆだねる。


AAのプログラム通りに
必要な時間をかけて回復してきたら
「自分なりに理解した神」を
身近に感じるであろう。


私もようやく
自分に「内在」する神を
実感できるようになった。


その神は
仲間を通して私に語られ
私を正しい考えに導いてくださる。



私は
新しい一日を与えられた事を感謝する。
この私に
何ができ
何ができないのか?
神は今日
私に何をさせたいと望まれるのか?
こういう事を
10分か15分考える。



一日を振り返る。
きっと誤りが目立っているだろう。
しかし
「あんな事、しなかったら良かったのに」
と口惜しがらない。
それは役に立たない。
傲慢でさえある。
それをやってしまったのが今日の私であって
それ以上のものではなかったという事である。
それを受け容れる事だ。


ありのままの自分を受け容れて
「神さま、今日の私はこれだけでした」と言う。


そして今日一日
良かった事がたくさんあった事を思う。


今日一日
私は飲まないで生きた。


それらは
「恵み」として与えられたものである。
こうして一日の終わりにあるのは
感謝になるであろう。


このプログラムは
回復した仲間によって私に伝えられ
私に再び生きる力を与えた。
これを他のアルコール中毒者に伝える事は
実はプログラムの重要な一部なので
伝えなければ私自身がプログラムに従っていない事になる。
そしてそれは私が生きる道から外れる事を意味するのである。


つまり私たちには
古い仲間と同時に
新しい仲間も必要なのである。


そして我々が生きていくのに必要な人間関係は
AAの仲間だけではない。
夫婦、親子、兄弟姉妹、友人であり
市民社会におけるすべての人間関係である。


それらは
私のアルコール中毒のために
殆ど完全に壊れてしまった。
それは修繕するというより
新たに築いていくべきものである。
「自分のあらゆる事にAAの原理を実践しようと努める」
とはこういう事である。
そして
生きるというのはこういう事だったと気づく事が
「霊的に目覚める」という事なのである。


「他のアルコール中毒者にAAのメッセージを伝える」
といっても
宣教師のように教えを述べる事ではない。
私は仲間の正直な話を聞く事によって
少しずつAAのプログラムが分かり
回復の道を歩くようになった。
今度は新しい仲間に
自分の病気と回復の事を正直に話して
かつて
ミニー神父が私に言ってくれたように
「一緒にやってみませんか?」
と言うだけである。


*上記写真は、出典不明ですがそのまま掲載致しました。

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