アルコール依存症からの回復

アルコール依存症からの回復のステップ

断酒学校 校長のステップ(個人の物語 日本編 より)

医師から肝硬変と診断され

半年ともつまい
と言われた。


両手で顔を洗う事もできない。
まっすぐ歩く事もできない。
「まるで奈良漬けだ」
と言われて久しい。


1968年10月18日
妻と病院に行った。
途中で飲もうと思ったが
なぜか飲まずに入院した。
それ以来
酒は口にしていない。


退院の日
同席していた妻に医師がこう言った。
「奥さん、これからどのようにしますか?」
「この人の、好きなようにしてもらいます」
と、妻は答えたのである。


私は予想外の返事を聞いてがっくりした。


妻は
「アルコール中毒者に対して無力である」
という家族の立場を
無意識のうちに認めていたのであろう。


アルコール中毒者は
自分を特別に運の悪い人間と考え
あらゆる事を人のせいにし
人を恨む。
多くの仲間が
妻を悪者に仕立て上げ
この女と結婚したから俺はアル中になった
と考えているのである。


そして
多くのアルコール中毒者が
回復してから
公平に見て
自分がまれに見るすぐれた女性を
妻にしていた事に気づくのである。


AAの共同創始者
ドクター・ボブは
下記のように書いている。


どういうわけか
私たちアルコホーリクは
世界で一番素晴らしい女性を
妻に選ぶ恵みを与えられているようだ。
なぜそんな彼女たちが
私たちがもたらす拷問に耐えなくてはいけないのか?
私には分からない。


私は
変えられないものを
変えられると思っていた。
それまでのやり方に飽き足らず
自分の考えでいろいろやってみた。


断酒学校というのを始めた。
先生も生徒もいない
月謝のいらない「学校」のはずだった。


先生はいない
と言いながら
私は出席を気にしていたし
他のアルコール中毒者に対して
押しつけがましい忠告や
助言をしていた。
私が先生になっていた。


AAというものがある事は知っていた。
たまに
AAのパンフレットの文章に出会う事があった。
それで私は
もっとAAのパンフレットが欲しいと思い
探し求めていた。


そんなある日
私は一人のアメリカ人に会った。(ミニー神父)
その人は
大学教授で神父さんだった。


彼は
自分はアルコール中毒者であり
AAプログラムによって回復してから
他のアルコール中毒者の役に立つため
アメリカのリハビリーセンターで
アルコール中毒について学び
日本に戻って来た。
日本でアルコール中毒になったのだから
日本の仲間と一緒に
AAプログラムをやるべきだと考えた
と話した。


私はこの人を信じ
一緒にやってみる気になっていた。
彼は
間もなくもう一人
日本の神父さん(ピーター神父)が来る
と言った。


1974年11月29日
日本の大学の教授をしていたその神父さんが
大阪から出て来た。


さっそく
東京と埼玉のあちこちの教会に頼んで
AAミーティングが毎日できるように
場所を借りてくれ
また
AAの出版物をどんどん翻訳し始めた。


アルコール中毒が肉体の病気とも知らず
どうにもならない自分を意気地なしと呪い
飲んで死のうと思った話
世の中すべてのもの
すべての人を恨んでいた話
知りもしない神を憎んでいた話
みんな「なるほど」と思う事ばかり
私にも思い当たる事ばかりである。


仲間の正直な話を聞いているうちに
自分も正直に話したくなり
時には
これはまだ言うまい
と思っている事まで話してしまったりする。


「死にたい、飲んで死にゃ本望だ」
などと言っていたのは
正気ではなかった証拠だし
それが分かったら
いくぶん正気になったという事だろう。


死にたい
と言っていたのは
生きる道がなくなったからで
命を与えたのが神であれば
生きる道も与えてくれると信じる事が
だんだんできるようになる。


仲間の話を聞くうちに
自分のことが良く見え
仲間に対する関心が深くなる。
そうすると
正直に話すと言っても
大勢の仲間の前では話せない事もある事に気づく。
間接的に傷つく仲間もいるかもしれないし
どうしても自分が話したくない事も残るかもしれない。
それを話す機会を与えてくださるのが
4.5のステップである。


そんな事ができるものか?
と思っていたのに
その時期が来ればやりたくなるから不思議である。
神がさせてくださる
というのはそういう意味だ。


だんだんと自分の姿が見えるようになり
4.5のステップで一層はっきりと
自分の短所が分かると
それを直そうとするのは当たり前である。
短所をそのままにしておいたら
いつか必ず飲んでしまう
とAAの経験が教えてくれればなおの事である。


今まで何でも他人のせいにして
無責任な子供のようであったが
大人への道を歩き始める
それが
6.7のステップである。


私は
全ての短所を直していこうという気になった。
しかし
なかなか楽ではないと思う。
しかしまた
楽にはできそうにないからやりがいがあるとも思う。


飲んでいた頃にやった事は病気の症状で
責任はなかったとは言っても
やったのが自分自身である以上
できるようになったら埋め合わせをするのは
当然の事で
そうする事で一番気分がいいのは自分であろう。


飲まないでいる事
それが一番の埋め合わせだ
と仲間が言う。


私が今日一日飲まないでいれば
何よりも自分自身への埋め合わせになる。
飲んだ事で
あれほど自分を痛めつけていたのだから。


全ての人間関係が少しずつ良くなっていく。
8.9のステップである。


今日一日
飲まずに生きる事は
短所を直す事と人間関係をよくしていく事と
密接なつながりがある。
私はカーッとしてよく飲んだ。
すぐに飲まないとしても非常に危険だ。
だから
日々の棚卸しをして
感情の二日酔いを残さないようにする。


仲間を通して脳みそに材料をもらわないと
新しく感じる事も
神の意志を知る事もできない。
神は私が仲間と一緒に神の意志を知り
それを行っていくようにしてくれたのである。


私はAAの仲間を通して
立派な父親に対するように
神とお付き合いができる事
祈りや黙想は電車の中でもできる事を知った。
私が何も分からず
飲んで苦しんでいた時も
神は待っていてくださった。

私が
神の意志を知りそれを行う事が
なかなかうまくできなくても
神は待ってくださるに違いない。


私は
これらの全てを無償でもらった。
ただでもらったものだから
ただで与えるのは当然である。
与える事でさらに豊かになる。
水が流れないで溜まっていると
腐ってくるように
AAのプログラムも
他のアルコール中毒者に伝えなければ
効果がなくなる
神は人間をそういうものに創られたらしい。


仲間が増え
ぐんぐんよくなっていくのが非常に嬉しい。
かつて飲んでいた時は
他人が良くなると面白くなかった事を思えば
不思議な気がする。
神はそれを喜ぶのだ。
私もこんなふうに少しずつ霊的に目醒めてきた。


長い間
神などいない
分からない
と言い続けてきたが
仲間がいて
家族の理解もあって
いつでもミーティングに行く事ができ
自分のために生きる事が
他人のためにもなるという生き方をしながら
神の意志に近づく事ができる。
全て感謝である。


私が
無力であり
自分一人では何もできない事を認め
私の思うようにではなく
神が良いとおもわれるようになりますように
という気持ちになった時
神は私の願った事を叶えてくださった。


「理解されるよりは理解する事を
愛されるよりは愛する事を
私が求めますように!」
と繰り返しながら
今日一日を精一杯生きようと思う。
神はできない事を要求されない
と仲間が教えてくれた事を信じて。


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