アルコール依存症からの回復

アルコール依存症からの回復のステップ

ビッグブック~家族、その後~

家族は全員が一緒になって

寛容
理解

という共通の土台の上に立たなくてはならない。


それには一人ひとりが身勝手さを
引っ込めなくてはならない。
アルコホーリクも
その妻や子どもたちや義理の身内も
誰もが
家族は
自分に対してこうあるべきだという固定観念を
もっている事がよくある。
それぞれがみな
相手に対して
自分の事を尊重してほしいと思っている。


無意識ではあっても
自分は家族に何を与えられるかでなく
何をもらえるのかを期待している。


ここで
家族がぶつかると思われる壁の事や
どうしたら家族同士の衝突を避けられるのか
提案してみたい。


家族の
父親に寄せる信頼は高まってきている。
だが父親は
何年もかけて
家族
仕事
友情
健康
などという名の建物を
少しずつ壊してきたのであり
それはいま
まったくの廃墟になっているか
あるいは
ひどく壊れている。
残骸を片づけるには時間がかかる。


アルコホーリクの多くは
熱狂的である。
極端から極端に走る。
特に回復の初期には
次の二つのどちらかの方向に突っ走るだろう。


仕事の面で
いきなり
経済的に自立しようと
狂ったように夢中になる。


新しい生き方に心を奪われ
それ以外の事は
何一つ話す事も考える事もしなくなる。


どちらにしても
家庭のなかに問題が起こるのは確かだ。
私たちは
こうした経験をたっぷりしている。


父親の飲み方がそんなに酷くなかった頃
一緒にすごした楽しい時間をもう一度取り戻したい
そして
家族が受けた苦しみに対して
悔いている気持ちを見せてほしいと
家族は期待している。
しかし
父親は自分を家族に惜しみなく与える事をしない。
そこで
恨みがたまっていく。
彼は
ますます口数が少なくなる。
時には
ちっぽけな事で爆発もする。
家族は
何が何だか分からない。


口論をしても何も良くならないし
難局をいっそう難しくしてしまうばかりだ。


アルコールのために何もかもがめちゃめちゃになった。
立て直しには
長い時間がかかる事を忘れないようにしよう。


父親は
家族に起こった事の責任は
主に自分にある事を忘れてはならない。
彼は
一生かかっても
ツケを清算する事はできないだろう。


しかし
金銭的な事だけにあまり集中しすぎる事の危険に
気づかなければならない。


向う見ずに
経済的問題の解決に走るのは危険だと
私たちは思う。


私たちの多くは
いま
回復の途上にある。
そして
経済的な再建の途上にある。


私たちにとっては
物質的な豊かさは
霊的成長のあとに続いて起こるのであって
その前に起こるものではないのだ。


家族が
アルコホーリク本人に対して
持ち続けてきた忍耐は理解を絶する。
誰にもまして
苦労を経験したのは家族なのだから
まず彼は
家庭で懸命に努力する。
自分の家の中で
無私の姿勢や愛情が示せないようでは
他を何をやっても
大してうまくいかないはずだ。


アルコホーリクと何年も暮らせば
どんな妻も子ども
多少は情緒不安定になる。
家族全員が
ある程度病んでしまう。
アルコホリズムから回復しようという男は
自分に家族をそうさせた責任が
大いにある事を忘れてはならない。


どうしたら家族同士の衝突を避けられるのか?


それぞれに恨みをもっている家族の一人ひとりが
自分自身の短所に目を向け
それを
家族に対して認める事ができるようになるにつれ
穏やかな会話ができる土台が作られてくる。
激しい口論
自己れんびん
自分だけが正しいといった主張
反感に満ちた批判などをせず
家族の会話ができるようになると
それは建設的なものになる。


少しずつ
父親は
自分があまりにも少ししか与えていない事
家族は
自分たちがあまりにも多くを求めすぎている事が
お互いに分かるようになる。


与えられるのではなく
与える事が
生きていくための道標をつくる大原則になってくる。


父親が
家族への義務を放り出してまで
「自分を超えた偉大な力」に意志と生き方を
「ゆだねる」生き方を求める事は
まったく純粋でも完璧でもない事を
彼は知るだろう。


父親の新しい生き方のなかで
家族もそのために実際に役立つ事をしたいのであれば
夫婦はまず
お互いにいろいろな場面で
譲り合わなければならないという事実に
素直に向き合わなくてはならない。


父親は
他のアルコホーリクと一緒に時間をすごす事が
多くなるだろうが
父親は
この活動にはバランスを取るべきだ。


アルコホーリクにとって
子どもたちとの関係を築き直す事が
たいへん難しいケースもある。


父親が飲んでいた頃
子どもたちの若い心は感受性が強かった。
言葉には出さなくても
子どもたちは
父親が
子どもたちや母親にした酷い仕打ちを覚えていて
父親を心から憎んでいるかもしれない。
子どもたちは
病的な冷笑さや皮肉なものの考え方に
囚われている事があり
人を許したり
酷い仕打ちを忘れたりする事ができない。
母親が
父親の新しい生き方や考え方を受け容れた後でも
この状態がしばらく続く事がある。


だが時がたって
父親が生まれ変わった事が分れば
子どもたちは
子どもたちなりのやり方で
関係を築き直す機会を父親に与えるだろう。


私たちは深刻な
ときには悲劇的な事柄について
述べてきた。
アルコールのいちばんひどい面の
話をしてきた。
しかし私たちは
陰気な人間の集まりではない。


新しい仲間が
私たちの生き方に
何の喜びも楽しみも
見つけられなければ
彼らは私たちのように生きることを
望むはずがない。


人生をおおいに楽しむことを
私たちは全面的に強調したい。
私たちは
世界の状況を皮肉ったり
世界中のもめごとを
自分の肩に背負ったりはしない。


アルコホリズムの泥沼に
はまり込んでいく人を見たら
応急手当をし
私たちが提供できるものを
彼がいつでも好きなように
使えるよう差し出す。
私たちは
彼のために
過去の恐ろしかったことを詳しく話し
その記憶をよみがえさせる。
だが他人の重荷や
その人の問題を
全部背負い込もうとすれば
打ち負かされてしまうこともわかった。


陽気さ
笑いは役に立った。
私たちが過去の経験を
陽気に笑い飛ばすのを見る部外者は
ときにショックを受けるようだ。
しかし
これが笑わずにいられるだろうか。
私たちは回復し
他の人を助ける力さへ与えられたのだから。


家族は状況がゆするかぎり
一緒に
あるいは
別々にでも遊ぼう。


私たちが幸福で
楽しく
自由であることを
神が望んでおられるのは確かだ。
この世は涙のベールに
おおわれているという信念には
私たちは賛成できない。
私たちの多くにとって
かつての人生が
涙以外の何ものでもなかったにしてもだ。


私たちが自分で自分のみじめさを
作り出したのは
はっきりしている。
神がそうしたのではない。
みじめさをわざわざ
作りだすようなことをするのは避けよう。


だが
もめごとがやってきたときは
それを神がここにいることを
証明する好機として喜んで利用しよう。



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