アルコール依存症からの回復

アルコール依存症からの回復のステップ

ビッグブック~AAに対する医学界の見解~

AAは
三本の柱に支えられた殿堂にたとえる事ができます。
一つは宗教であり
もう一つは医学であり
そして三番目は
アルコホリズムにかかった者としての
私たち自身の経験です。


医学は広い視野をもっています。
心の病気が身体に及ぼす影響
そして
身体の病気が心に及ぼす影響です。



ファスター・ケネディ博士(神経科)


アルコホーリクス・アノニマスという団体は
人類が知りうる最も大きな力の源泉である二つのもの
すなわち宗教と仲間をつくる本能
いわゆる『群居本能』に訴えている。
この偉大なる回復手段を
私たち医師は感謝して認知すべきだと考える。



W・W・バウアー博士(アメリカ医学界)


アルコホリズムの問題に対して
私たちのもつ解答のなかで
AAが極めて大きく
そして
重要な部分をしめています。


私たちはもちろん
アルコホーリクが病人である事は知っています。
それでもなお
ご存知の通り
アルコホーリクが厄介者
迷惑者とみなされ
その気になれば悪癖からさっと抜け出す事ができるのに
そうしようとしない人と思われていたのは
そう昔の事ではありません。
アルコホーリクは
だだっ子とか役立たずと思われていたのです。


今日
私たちは
彼が病んでいる一人の人間である事を知っています。
そして
彼が病んでいるのは
医学のなかで最も理解が不足している領域
すなわち「情緒の病気」という領域なのです。


情緒の病気は
身体の病気と同じように恥ずべきものではありません。
足が痛ければ整形外科に相談するように
精神科医に相談するのをためらうべきではないのです。


私たちは
人間には大きな個人差がある事を学ぶ必要があります。
人より疲れやすい人もいれば
感染症にかかりやすい人もいます。
そして私たちは
人間の情緒にも違いがある事を
知らなければならないのです。
人より我慢強い人もいます。
人より勇気のある人もいます。


アルコホリズムは
情緒不安による逃避です。
何から逃げるのでしょうか?
自分の人生の耐えがたい状況からです。


今日の世界で
私たちが最も必要としているのは心の平安です。
これを肯定的思考と呼ぶ人もいれば
心の平和と呼ぶ人
魂の平和と呼ぶ人・・・
ビリー・グラハムは
神との和解と呼んでいます。


同じ問題を抱えた人たちが助け合うなかで
アルコホーリクたちが
自分のことだけにのめり込むという傾向を
克服している。
「自分を超えた偉大な力」にゆだねることを学び
他のアルコホーリクとの取り組みに我を忘れることで
その日だけ飲まずにすごす。
一日はやがて何週になり
何ヶ月になり
そして何年にもなっていくのです。



ハリー・M・ティボウ博士(精神科)


アルコホーリクス・アノニマスの回復への効果を認め
患者の治療にAAの原理を使った
最初の精神科医がハリー・M・ティボウ博士です。
彼は
1939年にAAのフェローシップに出会って以来
精神科の専門医たちに
AAを推奨し続けてくれました。
こうしてAAが医療分野の人々の間で
受け容れられるようになったのです。


彼は1940年代を
AAのきわめて重要な時期だったと言っています。


AAは当時、奇跡の時にありました。
起こる事、全てが目新しく
そして素晴らしく見えました。
見込みのなかった酔っぱらいが
どん底から救い出されました。
知られる限りのどの方法を
やってみても駄目だった人々が
AAの新しいやり方に反応していきました。


完全に底をつくこと
敗北を認めること
謙虚に「自分を超えた偉大な力」に助けを求めること
これが必要欠くべからずものである事を
私は聞かされました。


アルコホーリクはそれぞれ
自分が打ち負かされた事を認めまい
無力を認めまいと
いつも闘っています。
もし彼が敗北を認めれば
その時
闘う事をやめ
惨敗を認め
自分は無力であり
謙虚に助けを必要とする事を認めます。
降伏しなければ
限りなく危機が襲い
建設的な事は何も起こりません。
降伏を引き起こす事が
治療の新しい目標となりました。


医師の大切な仕事は
患者が何らかの治療ないし
外部の助けを受け容れるように
その準備をする事にあるという事です。
精神科医の仕事は
患者の内面の抵抗を取り除き
AAプログラムへの取り組みのなかで
患者の内なるものが開花できるように
手助けする事だと考えています。


降伏をもたらす事が仕事でしたが
この考えはいたるところで抵抗にあい
私は治療の方法を変えました。


探索を続けるうちに
誰でも心の中には
征服されがたい自我があり
これがどんな敗北を認める事にもひどく抵抗する
という事に気づきました。


「自我」と「自己」と言う言葉を
よく聞くことがあると思います。
「自我」と「自己」の違いとは?
 「アイデンティティ」(identity=自我)と
「パーソナリティ」(Personality=自己)の
定義、意味とは何でしょうか?


端的に言えば
自分が考える「自分」が「自我」(identity)。
自分と他人を通しての「自分」が
「自己」(Personality)です。


エゴには、3つの意味があります。


1.自我、自尊心
2.利己主義な考え(自分の利益だけを考えること)
3.利己主義な人


語源のラテン語では「私」を表わす言葉です。
その意味から
「エゴ(ego)」は
「私というもの=自我」という意味になりました。


利己主義というのは
「 自分の利益を最優先にし
他人や社会全般の利害など考えようとしない態度」
という意味。
「自己中心」という意味でも良いでしょう。


なぜ「自我」が「利己主義」という意味になるのかについては、
「ego」は「エゴイズム(egoism)」
「エゴイスト(egoist)」という言葉の略でもあるため。
「私が大事!」という意味の考え
またはそういう人のことです。
日本で使われるエゴは
これらの意味であることが多いです。


エゴは自分勝手で周りのことを考えていない
自己中心的な人間を指すときに使います。
「エゴがむき出しだ」というのは
「自分の欲がむき出しだ」と考えればわかりやすいです。
「エゴが強い」と言われたら
「自己中に思われているのか、、」
と反省をしないといけません。


完全に底をつく事により敗北を認め
降伏が自我をそのあるべき大きさに収縮するのです。


自我の収縮には
肥大した自己愛的な自我が
そのあるべき大きさに戻るという意味があります。


「とうとう私は
自分の身の丈の大きさに縮められたのです。
以来、私は飲んでいません」


時が経つにつれて
さらに二つの事実が明らかになりました。


一つは
いったん収縮した自我は
再び肥大化する不思議な再生力をもっているという事です。


自分が全ての答えを知っていると思う事
反対に
答えなど何も知る必要がない
AAに従ってさえいればいいという考え
この二つが危険信号です。
どちらも開かれた心を著しく失っています。


もう一つは
降伏とは
自己制御の働きをもつ経験である
という事です。


自我は
決してストップされる事がない
という無意識の前提に立って動いています。
前進するのは良い事だと
当然のように思っています。
自我は制止される事を予期せず
従って
不慮の事態に順応する能力をもち合わせていません。
制止は
「だめだ、オマエは続けられない」と言います。
これが自己制御というものの本質なのです。
ブレーキの効かない人というのは
自分をコントロールする事に訓練されていない人間です。


降伏は
「やめた。オレの強情なやり方はもうギブアップだ」
と経験で言わせる事で、この制御をもたらすのです。
経験とは
向う見ずなペースをやめるという試練に出会う事です。


人は降伏しなければ
「私の意志ではなく
あなたの意志が叶えられますように」とは祈りません。


人は降伏する事により
ずっともっていた人生への考えや情緒や態度が
取り除かれて
それに代わる新しい考えと生きていく動機が
支配し始めるのです。


こうした変化は
決して自分だけの力でもたらされたのではなく
「自分を超えた偉大な力」によってもたらされたと
気づく事が霊的体験の本質なのだと
私たちの多くは考えています。


AAにおいて
初めての降伏は
自我を収縮する事でソブラエティをもたらします。
しかし不幸にも
自我は復活してきます。
これを防ぐには
自己制御の効いた生き方を身につけなければなりません。
この事は
自我が息を吹き返そうとする傾向を
常にチェックする事を意味します。


AAメンバーは
一回だけの降伏では足りない事を知っています。
ソブラエティという奇跡を維持するためには
絶えざる努力が必要である事は
創始者たちの賢明なリーダーシップのもとに
常に強調されてきました。


私は決して
奇跡など大した事はない
と言っているのではありません。
奇跡は人を幸せにします。
しかし
厳しい労苦を通してのみ
長続きする効果が得られるのです。
どのような奇跡も
それを補完する労苦を必要としているのです。


皆さんにとって
AAの経験が単なる奇跡ではなく
永続的な価値をもった生き方となりますように。。。


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