アルコール依存症からの回復

アルコール依存症からの回復のステップ

自分のことを正直に話すこと~山ちゃん~

ぼくは浅草で生まれた。
あの3月10日の大空襲の時には五つくらいだった。
父はぼくが三つの時に死んでいなかったので
母と姉とぼくは焼きだされてから
あちこちの親戚の家を転々としなければならなかった。
千葉の船橋から岐阜までも行った。


その頃から
ぼくのなかにあるコンプレックスのようなものが
育っていたように思う。
片親で貧乏だし
田舎に行っても自分の本当の田舎ではないから
十分な食料が与えられず
栄養失調になったこともある。
人の愛よりも冷たさを思い知らされて
育った子どもであった。


ぼくが小学生3年生の頃
母はぼくと姉を連れて再婚した。
家は浅草に近い入谷にあった。


今度行った家は乾物屋で
ぼくはそこで
店の銭箱からお金を盗んで小遣いを作るなど
よからぬことを覚えた。


ぼくが中学を卒業する頃
義理の父も死んだ。
母はもともと身体が弱く
商売にも向いていなかったので
経済的にはかなり厳しい家庭だった。


ぼくはその頃新聞配達をしていた。
新聞配達をしながら
自分で買いたいものを買い
好きなようにして中学を卒業したが
高校には行かなかった。


魚屋をやっている叔父から
魚河岸の仲買をやってみないかと
言われて行ってみた。
朝4時に起きて行かなければならず
友だちには会えないし
魚臭くなるなるのが嫌でそこをやめた。
辞める時には自分で断りに行けなくて
母に頼む始末だった。


不良仲間に入っていたので
ケンカをしたり
しょっちゅうトラブルを起こして
警察に保護されるようになった。
その頃のぼくには
片親で貧乏という考えがあって
いい生活をしている人たちに対する
コンプレックスがかなりあったと思う。


姉が勤めていた会社の社長さんが
そんなぼくを承知で
住み込みで働いてみないかと言ってくれた。
ぼくも真面目になりたかったので
やってみる気になった。
その頃から友だちと酒を飲むようになった。


ぼくは初めて酒を飲んだ時から
酒乱だったようである。
飲んでいるうちに自分が分からなくなり
仲良く飲み始めた相手とケンカになり
翌日
「山ちゃん、昨日はひどかったよ」
「お前、酒乱だよ」と言われるのだった。


だから若い時から
酒乱だという自覚はあって
飲みすぎてはいけないという気持ちはもっていた。


ぼくは自分が気の小さい弱い人間だ
ということを知っていた。
酒を飲むと気が大きくなる。
だからケンカをする前とか
女の子をひっかけに行く時には、必ず飲んでいた。
飲むとかなり大胆なことができる。
ぼくはそれを自分の特技だと思っていた。


そういう生活では
普通の会社勤めはできなくなり
水商売で働くようになった。
華やかな夜のボーイ生活は楽しかった。
ぼくも若かったし
周りに女の子も大勢いるし
終わったあとでみんなで飲みに行ったり
遊びに行ったりできたからである。


しかしそこでもやっぱり酒でトラブルを起こした。
ある夜
お客とケンカをしてしまい
帰るのをおっかけて行ってやっつけた。
そういうことがあれば
営業の邪魔になるので当然首になる。
首になっても
仲間がすぐにほかの店を見つけてくれる。
そこでまたボーイをやり
また同じようなことで首になる。
ぼくは自分が酒乱で飲みすぎてはいけない
特に営業中は飲んではいけないと意識していたが
それでも陰で隠れて飲む。
ビールでは効かないから
日本酒をコップに入れて隠しておいて
水を飲むふりをして飲む。
お客の残した酒を集めてグーッと飲む
という調子だった。


営業中に飲んではいけないのは
当たり前のことだが
一杯ひっかけたほうがお客ともよく話せるし
銀盆をもっていても調子よく歩ける。
だから
一杯飲んでいれば体の動きがいいという感じで
いま思うと
もうその頃完全にアルコール中毒者だった。


その頃の家は
鶯谷と日暮里の間にあった。
母と姉と妹と一緒に住んで
キャバレーに働きに行くようになると
帰ってくる時が酷いのである。


アパートのガラスを壊して入ったとか
他人の部屋に間違えて入ったとか
タクシーにただ乗りしたとか
警察のトラ箱に入っていたとか
自分では本当はやりたくないことを
飲んでやっているのだった。


水商売を転々と変わっていくうちに
ぼくは一匹狼という感じになっていた。
自分ではそうは思っていなかったが
いつも酒の問題で居づらくなって
次々と店を変わっていった。


水商売で勤めるところがなくなったので
ほかの仕事を探してみた。
仕事を変わった初めの頃は
心機一転
一生懸命働くが
10日くらいしてちょっと一杯飲むと
もうおかしくなってしまう。
二日酔いで仕事に行くのはまだいいほうで
三日酔い、四日酔いになったころには
食事をしないから体が動かない。


ぼくの家には焼酎の瓶がゴロゴロしていて
壁はボロボロ
絶えず失禁するから布団に寝られず
横にゴザを敷いて寝ていた。
だんだんと
「どうせ俺はダメなんだ」と思うようになっていた。


日雇いの土方仕事みたいなことをやり始めていたが
1ヶ月に15日分くらいの給料があればいいほうで
絶えずお金に困っていた。
焼酎の四合瓶を買ってきて飲む。
表に出て酒屋で立ち飲みする。
ぼくの生活はそういうものだと思っていた。
金がないのも
酒がやめられないのも
親のせいだと思っていた。


姉妹のところに行きたくても行けないし
大家さんに会うのも嫌で
ただ何もない自分の部屋でじっとしていた。
「俺は一体どうなるのか」と
ぼんやり考えていた。


そんなある日、義兄が来て
「福祉に頼んで病院に入ってみるか」と
言われた時は「助かった」という感じだった。


ひどい病院だった。
ぼくが暴れたので保護室に放り込まれて
9ヶ月放置された。


それから精神病院に入退院を6回繰り返し
だんだん自分がダメになっていくのが分かった。
やめようとしてもやめられないなら
酒の量を減らすとか
焼酎を飲んだのがいけなかったとか
悪酔いしないように気をつけるとか
無駄な抵抗をしていた。


「あんたは意志が弱くだらしがない」と言われ
自分でもそう思っていた。


いよいよ福祉の担当者が
「あなたは何回精神病院に入院しても同じだから
AAに行ってみなさい」と教えてくれたのである。


朝から飲んでいたけれども
AAのミーティングに行ってみた。
何も分からなかった。
コーヒーを飲んで気持ちが悪くなった。
帰りにまた喫茶店に寄ったが
そこのコーヒー代を誰が払うのかが心配で
仲間の話が聞けなかった。


毎日ミーティングに足を運んでいるあいだ
飲みたいという感じはなかった。
福祉の担当者も
ミーティングに行くことを仕事にしなさい
と言うので昼と夜ミーティングに行った。


二日酔いでなく
自分の家の布団のなかで目が覚める
確かに気持ちはよくなった。
しかし
福祉で借りてもらった部屋があり
テレビと洋服ダンスがあって
それが最低だとぼくは感じていた。
初めて入院した時
テレビはもとより電気釜も質に入れて
濡れた布団のなかでじっとしていたことを
忘れていた。
だから自分の本当の底つきを
引き上げることができなかった。
仲間の話を聞いて
俺よりひどいと思っていた。


そして
すぐに自分の古い考えに戻っていた。
その頃のぼくは
人との違いを探していた。
大宮ハウスにいる仲間を見ては
「あれはひどいケースだ。
俺はアパートに住んでいるし姉妹もいるから
そうひどくはない」と思っていた。


ミーティングに足を運んでいるので
母を酒ビンで殴ったことや
トラ箱に入ったことなどは思い出して話していた。
夜のミーティングが終わって
飲食街を歩いて帰っても
飲みたいという気持ちは起こらなかった。
ぼくはそれを
自分だけで良くなったように感じていた。


そして
3ヶ月目にスリップしたのだった。


ミーティングで一番先に指名されて
ステップの話しをしたが
自分の身についていないことを話せるはずがない。
話すより先に頭に血が上り
胸がドキドキして
「どうして俺に一番先に話をさせるんだろう」
と思い
ミーティングが終わるまでただイライラして
仲間の話しは全然耳に入っていなかった。


イライラしている時は
何か食べるといいということを思い出し
福祉からもらった金をもって外へ出た。
そば屋は閉まっていた。
すし屋へ入ったら
「今日はもうネタ切れで終わりですよ」
と言われた。


後ろを振り向いたら自動販売機があった。
お金を入れてワンカップを取り出した。
飲んだらだめだと一瞬迷ったが
えい!
どうなってもいいんだという感じで飲んだ。


一杯飲んだら
俺はもう飲んじまったんだからいいんだと
ワンカップの瓶を歩道に叩きつけて
次の自販機へと歩き始めた。
そうやって朝まで飲んだが
酔っぱらったというより
何か悪いことをした感じのほうが強かった。
部屋へ帰っても
疲れて寝たという感じで
酔ってはいないような気がした。


目が覚めた時は
今やめなければという考えより
苦しいから飲まずにはおれない状態だった。
まだ少しお金が残っていたので
一番安いウィスキーの丸瓶を買ってきて
飲むようになった。


夜になるとお金を勘定して酒を買いに行く。
ひげ面で、近所の人がいても構っていられないから
下を向いて酒屋に突進という感じだった。


そういう状態で
精神病院への最初の入院の時と同じように
自分ではどうにもならなくなった時
大宮ハウスに入れてもらった。
大宮ハウスに来ているのに
元の福祉事務所の
世話になっているわけにはいかなかったので
アパートを捨てた。


それで本当に行くところがなくなって
何かが始まったような気がする。
大宮ハウスのなかの人間関係で
何か面白くないことがあると
一杯飲んじゃおうかという気持ちが出てくる。
ぼくにはそういう癖があった。
そういう時に
「ああ、俺は行くところがないんだった」
と思い出した。


飲んだらまたあのいやな精神病院に
行かなければならない。
人に負けるのはしゃくだ。
早く良くなりたい。
はじめのうちは
こういうことで飲まなかったように思う。
アルコールに対して自分はまったく無力である
という考えはまだなかった。
だからミーティングに足を運んでも
自分の気持ちを正直に話せなかった。
だからかえって苦しかった。
それを少しずつ乗り越えてきて
ステップ1の「無力」を認めるようになるには
半年ぐらいかかった。
その頃やっと
一番初めに入院した当時のことを思い出した。
その時になってようやく
本当のどん底を引き上げられたのだと思う。


こうしてだんだん自分のことが分かってきた。
アルコールと戦って敗れたというより
初めからやられっ放しだったということも。


AAに来た初めの頃は
自分の考えで何かやった時には
いつもひっくりかえっていた。
それよりもまず
「飲まないで生きること」を身につけて
少しずつ内面が変わってから
次のことに進むのがいいのだと
自分なりに分かってきた。


ぼくはまだ
神という言葉をスムーズに使えないけれども
何か大きなものがあると感じている。
今までは
何でも自分でやらなきゃならないと思っていたが
どこから来たとも分からない仲間と一緒に
やってゆけるということ
何か分からないが
「偉大な力」に安心しておまかせできるという感じ
以前に比べて
今の生き方のほうがはるかに良いという感じは
「霊的」なものではないかと思う。


ぼくは
まだ苦しんでいる仲間にメッセージを伝えている。
AAのメッセージとは
毎日のミーティングで
自分のことを正直に話すことであり
同じことをメッセージを運ぶ時にも
するだけだということが分かってきた。
そして
それは第一に自分のためにもなっているのだ。


病院にメッセージを運んでいると
入院していた人たちが亡くなったと聞かされたり
何回も入院してくる人たちもいて
ぼくも同じ体質、同じ病気をもっていて
一杯飲めば同じなのだと感じる。
さらに
良くなってくれたらいいと思って一生懸命話しても
一向に分かってくれない。
そこで自分の無力さと
アルコールの巧妙さを改めて感じることができる。


ミーティングに足を運んで
仲間と一緒にステップを実践していれば
酒をやめ続けることができ
人間として少しずつ成長する生き方ができると
ただただ感謝している。


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