アルコール依存症からの回復

アルコール依存症からの回復のステップ

ビッグブックのステップ8・9

ステップ8
私たちが傷つけたすべての人の表を作り
その人たち全員に進んで埋め合わせを
しようとする気持ちになった


ステップ9
その人たちや
ほかの人を傷つけない限り
機会あるたびに
その人たちに
直接埋め合わせをした


ぼくたちは自分が傷つけた人たち
自分が恨みを持っている人たちの
リストを作った。
ぼくはこの人たちに自分の誤りを認める
心の準備がきちんとできているのだ
ということも言った。
相手を決して批判しなかった。
ぼくは自分にできるかぎり
一つひとつのことを正していった。


筆が進まなくなったときは
ステップ8の経験がほかの人たちにとって
どれほど大事だったかを思い出してみよう。
力づけられ、励まされるはずだ。
その時こそ
仲間からの
また神からの孤立が終わるのだ。


人は多くの場合
自分の本能と
性格上の欠点に基づく振る舞いのために
怖れを抱くようになる。
怖れを乗り越えるには
その相手に直面して過ちを正すしかない。


積極的な気持ちで取りかかるなら
その成果はすぐに現れる。
障害物がなくなるにつれて
苦しみも軽減される。


埋め合せをしたいという心からの意欲をもてば
実際に埋め合わせができたかどうかにかかわりなく
自由がやってくる。
意欲こそがカギである。






Back To Basics の埋め合わせの表は



セレニティ・プログラムの埋め合わせの表は


【今すぐに】
今すぐに
埋め合わせをしたいと思う相手の名前を
全て書き出す。


【後で】
後で
埋め合わせをしようと思う人の名前を書き出す。


【もしかしたらできるかもしれない】
もしかしたら
できるかもしれないと
思っている人の名前を書き出す。


【できない】
できないと思っている人の名前を書き出す。


ステップ8・9は
時間がかかるプロセスであり
なかには終わりのないものもある。
「機会あるたびに」
「その人たちや
 ほかの人を傷つけない限り」という条件も
時間がかかる要因となる。


その機会は
飲まない生き方を始めた人にとっても
埋め合せを受ける相手にとっても
ふさわしい時であり
ふさわしい場所であり
そして
ふさわしい状況なのだと思う。
埋め合せの意欲があれば
「機会あるたびに」は
現実のものとなるだろう。


相手がどこにいるかわからない
あるいは亡くなっているなどのために
埋め合せができない相手が
出てくるかもしれない。
会おうにも
会えない人もいるだろう。
そういう相手には正直な手紙を書く。


自分が嫌っている人に
どうやって接近するのかという疑問が
起こるだろう。
私たちがその人を傷つけた以上に
その人から傷つけられたことのほうが
ずっと多いということもある。
そういうときは
自分の落ち度を積極的に認めることには
気乗りがしないかもしれない。
しかし好きになれない人に対しても
決然とした態度で埋め合わせに向かう。
敵のところへ行くのは
友人のところに行くようなわけにはいかないが
そのために自分が得るものはとても大きい。


私たちは助けになろう、赦すという気持ちで
相手の所へ行き
かつて自分が敵意を抱いていた事を打ち明け
遺憾の気持ちをあらわす。


意欲さえあれば
怖れや罪悪感や羞恥心から解放されるだろう。


ハイヤー・パワー。
私が傷つけたすべての人の表を
作る力を与えてください。
私は自分の過ちの責任を
取ろうと思います。
そしてあなたが
私を許してくださったように
私も他の人たちを許そうと思います。
どうか償いを始める意欲を
私に与えてください。
そのために私は祈ります。


「行動のない信仰は死」である事を
私たちは知っている。
私たちが傷つけた人たち
全ての表を私たちは手にしている。
その人たちに
埋め合わせをする気持ちになっている。


今こそ彼らの所へ出向き
過去の傷を修復する時である。
強情で片意地に生き
何でも自分で取り仕切ろうとしてきた結果として
溜まってしまった残骸を取り除くのだ。
そうする気持ちがまだないのなら
その気になるまで祈り続けよう。
アルコールに打ち克つためなら
何だってする と
心に決めた最初の頃を是非とも思い出してみよう。


おそらく
まだ気後れがあるだろう。
私たちが傷つけた仕事上の知人たちや
友人たちのリストを眺めてみると
なかには霊的な話を持ち出す勇気が出ない
相手もいるだろう。
だが心配しないでほしい。
相手によっては
初めから霊的な面を強調する必要はないし
むしろ強調しない方がいい場合もある。
偏見を持たせてしまったら何にもならない。
さしあたって
私たちは人生の建て直しを計ろうとしている。
だが
それ自体が目的なのではない。
私たちの本当の目的は
神と自分のまわりの人たちに対して
できる限りの奉仕ができるように
自分を捧げる事である。


自分が与えた傷のために
まだ感情を害していいる人の所に
自分は信心深くなったと
宣言をしに行くのは賢明ではない。
それは賞金のかかった試合のリングの上で
自分から殴ってくださいと
顎を突き出すようなものだ。
人から狂言者だの
宗教かぶれだのと
決めつけられるように
自分をもっていく事に何の意味があるだろうか。
それは
将来の
手助けのためのメッセージを
運べるかもしれない機会を
台無しにしてしまいかねない。
霊的な事が苦手な人たちも
私が犯した過ちを正そうとする
真剣な願いを持っている事には
心を動かしてくれるだろう。
相手は
霊的に何かを悟ったという話よりも
善意を示される事の方に
ずっと関心を持ってくれるはずだ。


どんな状況であっても
決して相手を批判したり
言い争ったりしない。
私たちは過去の問題を解決するまでは
飲酒の問題を
乗り越える事はできないのだと
手短に相手に説明する。
私たちは道路の自分の側の掃除をするために
やってきたのだ。
掃除が終わるまでは私たちは
何一つ有意義な事はできない。
私たちは「相手がすべき事は何か」を
伝えるために来たのではない。
したがって話は
相手の欠点ではなく
自分の欠点だけに絞られる。
もし私たちの態度が穏やかで
率直で
広い心に満たされていれば
必ず満足のいく結果が得られるだろう。


たいがいのアルコホーリクは
借金をしている。
私たちは債権者を避けない。
債権者に自分たちが
しようとしている事を話す時には
飲酒の事を率直に認める事である。
私たちがどう思っていようが
彼らはその事はもう知っている。
金銭的に損害を
受けるのを怖れて
アルコホリズムの事を
秘密にしておく心配は必要ない。
このようにして話をしていくと
かなり無慈悲な債権者でさえも
私たちを驚かせる事がある。
自分にできる限りの支払の取決めをし
申し訳なく思っている気持ちを伝える。
飲酒のために支払いが遅れたのだ。
どれほど長い期間の返済を
しなくてはならないとしても
債権者の事を怖れてはいけない。
彼らに会う事を怖れていたら
私たちは
飲んでしまう事になるだろう。


*勇気とは
怖れがない状態の事ではありません。
勇気とは
怖れに直面しても
それを乗り越えていく事です。


こういう賠償には
数え切れないほどの方法があるのだが
私たちに役立つ一般的な原則がある。
霊的な経験をするためなら
どんな事でもしようと決心した事を
胸に思い起こす。
自分が受ける結果が
どんなものになろうと
正しい事をする強さと方向を
与えてくださいと祈るのである。
私たちは職を失い
あるいは信用をなくし
あるいは刑務所行になるかもしれないが
やってみるという意欲があるのだ。
しなくてはならない。
何事にもひるんではならないのだ。


他人を巻き添えにするような
思いきった行動を取ろうとする時には
実行する前に相手に
納得してもらうようにする。
許可が得られ
色々な人たちとも相談し
神に助けを求める。
その上で
その断固とした行動を取るべき事が
はっきりした時にはひるんではいけない。


徹底して
正直でなければならない場合があるだろう。
そういう個人的な状況には
他の人間は誰も口を挟めない。
二人で話し合い
そこから
一番の良識があり
いたわりの愛がある方法は
過ぎた事を水に流す事だという結論に
導かれるかもしれない。
それについて
二人して一番大切な
お互いの幸福を考えながら
祈る事もあるだろう。


よくアルコホーリクの本人が
ただとにかく
飲まなければそれでよい
と言っているのを耳にする。
確かに飲まない事は続けなくてはならない。
それがなければ家庭もないのだから。
だが
長年思い切りひどい扱いをしてきた妻や
親に対する埋め合わせの道のりは
まだまだ長い。


アルコホーリクは
他人の人生を巻き添えにして
巻きあがる竜巻のようなものだ。
心は傷付き
優しい人間関係は死に絶え
愛情はとっくに干からびた。
自分勝手で
思いやりのない行動が
いつも絶え間ない喧噪の真っただ中に
家族を陥れてきた。
アルコホーリクが酒さえやめれば
それで十分だと言う時
私たちは何と
思いやりに欠けた言葉かと思う。


そう
まさしく私たちの前途には
長い再建の道のりがある。
自分が率先してやらなければならない。
自分が悪かったと
後悔してつぶやいていても
それだけでは決してツケを
払った事にはならない。
家族と一緒に
決して彼らを批判しないように気をつけながら
今振り返れるままに率直に過去を
分析してみるべきだ。
家族の欠点も目立つかもしれないが
その責任の一端は自分にある事が多いのだ。
だから家の大掃除は家族と一緒にやろう。


毎朝の黙想の中で
神が忍耐
寛容
思いやり
それに愛の道を示してくれることを祈って。


霊的な生き方は理論ではない。
実際に
生きなくてはならないのだ。


*私たちはステップを踏むだけでなく
毎日
AAプログラムのステップを道具として
社会で
生きなくてはならないのです。


完全に正せない過ちもあるだろう。
その過ちについて
もしできる事なら
何としても正したいと
あなたが心から思っていると
言えるのなら気にする事はない。
会おうにも
会えない人もいるだろう。
そういう相手には正直な手紙を書く。


この工程を労を惜しまず
念入りにやっていると
半分も終わらないうちに
あなたはビックリする事になる。
新しい自由
新しい幸福を
知るようになっているのだ。
過去を悔やむ事もなければ
それにふたをしようとも思わない。
心の落ち着きという言葉が
わかるようになり
やがて平和を知る。
私たちがどんなに落ちぶれていたにしても
自分の経験がどれほど人の役に立つかが
わかるようになる。
自分は役立たずだという
自己憐憫の感情が消え失せる。
利己的な事に関心がなくなり
仲間の事の方に関心がいくようになる。
身勝手さは消えてしまう。
私たちの
人生に対する態度と展望がまるっきり変わる。
人間に対する恐怖症や
経済的不安もなくなる。
かつては私たちを困らせた状況にも
直観的にどう対応したらいいのかが
わかるようになる。
自分ではできなかった事を
神がやってくださっている事を
私たちは突如として気づくようになるのだ。


ステップを踏むことにより
私たちは最終的に
回復するのに充分な人格上の変化を達成する。
このプロセスが
「霊的目覚め」
あるいは
「霊的体験」である。


これはとんでもない約束だろうか。
そうは思わない。
こういうことは私たちの間で実際に
ときには急速に(霊的体験)
ときにはゆっくりと(霊的目覚め)
実現している。
取り組みさえすれば必ず実現する。


ある朝
男は勇敢にも
これまで怖れていた相手の人たちに
自分の問題について話に行った。
驚いた事に
みんなはちゃんと受け入れてくれた。
多くの人が男の飲酒の事を
すでに知っていたのも驚きだった。
男は自分の車で
自分が傷つけた人たちの所を
片っ端から回った。
そうしながら身震いを止める事が
できなかった。
特に仕事関係の人たちの場合
廃業に追い込まれる可能性があったからだ。


夜遅く
彼は疲労困ぱいしながらも
とても幸せな気持ちで家にたどり着いた。
彼はそれ以来飲んでいない。


*ドクター・ボブは
埋め合せをしなければ酒をやめられない事を
ステップ9で学びました。
そして
埋め合せを一日でやり遂げました。


家の大掃除は家族と一緒にやろう。
毎朝の黙想の中で
神が忍耐
寛容
思いやり
それに愛の道を
示してくれる事を祈って。


静かに座って
神の計画のままに
僕の問題の方向付けと
それに立ち向かう
強さが得られますように願う。


神は
心から求める人たちの所には
必ず来てくれる。


私たちが
神に近づこうと努める時
神は必ず私たちの前に現れる。


黙想の中で私たちは神に
それぞれの問題について
自分がどうすべきなのかを求めた。
求めれば
正しい答えが示される。


私たちは正しい理想を
不確かな状況については導きを
健康な考え方を
そして正しい事をする強さが
与えられるのを心から祈った。


回復するのに充分な
人格上の変化を達成するためなら
人生に対する態度が
根本から変えられるためなら
霊的な経験をするためなら
どんなことでもしようと決心したことを
胸に思い起こす。
自分が受ける結果がどんなものになろうと
正しいことをする強さと
方向を与えてくださいと
祈るのである。

×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。