アルコール依存症からの回復

アルコール依存症からの回復のステップ

アルコール依存症で精神病院に2回入院しました

私たちが
普通の人のように飲めるかもしれないと
役にも立たない実験をしてきたからといって
驚く事はない。
何とかなるだろうという考え
いつかは飲むのを楽しむ事が
できるようになるという大きな妄想が
病気の酒飲みに取りついている。
この恐ろしい妄想を
たくさんの病的酒飲みは
死の門口に立つまで
そうでなければ狂ってしまうまで
手放せないでいる。
・・・・・
私達のようなアルコホーリクは
進行性の病気にかかっているのだという事を
私たち全員が一人残らず信じている。
少し長い目で見れば
私達は悪くなる事はあっても
決して良くなる事はなかったのである。


アルコホーリクス・アノニマス
第三章 さらにアルコホリズムについて より


正英のアルコール依存症は
ビッグブックのように進行し
お酒が止まらず
千葉県の精神病院に入院する事になりました。



入院時はこれでお酒から解放されたという
安堵感がありました。


お酒、家族、仕事から解放され
入院中は辛かった記憶より
入院中の仲間と共に
楽しかった想い出のほうがたくさんあります。


アルコール依存症とは?
完治はしないけれども回復はすると
精神病院から教えて頂きました。


AAのミーティングに
病院の車で送迎して頂き
AAの存在を知る事も出来ました。


退院時には
これで正英も
飲まないで生きていく事ができる! と
根拠のない断酒に対する100%の自信があり
AAのミーティングに足を運びませんでした。


今思うと
そんなに簡単にお酒が止まるのであれば
アル中は苦労しない と
思っていますが・・・


しばらくすると
ノンアルコールビールを飲み
妻の料理を食べず
おつまみを買い食べていました。
正英の飲酒欲求は明らかですね(^_^;)


アルコール依存症者は
ノンアルコールビールを飲むと
再飲酒の確立が高くなると
今では個人的に思っています。


宴会の席では
ソフトドリンクですごせましたが
帰宅時には「ぐったり」していました。
脳がお酒と戦っていたのだと思います。


ある日
父と久しぶりに会い
たまには父とお酒が飲みたいと
ふと
そう思い生ビールを飲みました。
父との会話も弾み
とても楽しい時間をすごす事ができました。


帰りの電車では
1時間かけて缶ビールを2本飲み
最寄り駅のコンビニでハイボールを買い
自宅まで飲みながら歩いて帰りました。


その日から約2ケ月間
お酒を飲み続けました。
お酒を飲み、寝て、起きて、お酒を飲み
お酒を買いに行く
食事をせず、歯も磨かず、風呂も入らず
血を吐きながら


酒屋にお酒を買いに行くと
お酒が並んでいるのを見るだけで
お店の外で胃液を吐いていました。


それでも
紙パックの1.8リットルの日本酒を
いつも
2パック買って帰宅していました。


その年の
クリスマスイブ
大晦日


年明け
お正月の
記憶が全くありません。


昼なのか夜なのか分からなくなり
気が付くと
妻の鏡台のイス
せとものの傘立て
パイプハンガーが壊れていました。
記憶にありませんでしたが
あばら骨が痛かったので
正英が壊したのは確かです。


今思うと
誰かを殺していても
誰かに殺されていても
記憶がなかったのだと思うと
ゾットします。


2ケ月の連続飲酒の最後の頃は
お酒を飲む事が苦しくて
病院に入院したいと
思うようになりました。
それでもお酒は止まらず


現在の最後のお酒は
コップ一杯の日本酒です。
一気に飲み干し眠りにつきました。
まだ開封していない新品の紙パックの
1.8リットルの日本酒を大切に抱きながら


千葉県の精神病院へ
2回目の入院をしました。


今度こそお酒をやめるぞ!
AAに足を運べばお酒がとまると思い
とにかく入院中も自分の足で
AAのミーティング会場に足を運びました。


理由は解りませんでしたが
AAに足を運んでいると
お酒を飲みたいと思わず
心が落ち着いているように思えました。


孤独な酒飲みだった正英は
AAミーティングに
居場所と仲間を感じる事ができたのだと
今では思っています。


精神病院を退院し
その日の夕方
ワンディのメダルを頂きました。
ワンディメダルは
正英がソブラエティを重ねる
御守になっています。


そして
ワンディメダルを頂くために
精神病院を退院してから
自分の足で
ミーティング会場に足を運んだ事は
正英にとって
何万歩より
距離のある一歩であったと


正英はそう思います。

BUMP OF CHICKEN『車輪の唄』




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